発達障害(自閉症)について思う事【『みんな違って当たり前』を、当たり前に】〜ちょっとブレイク〜
プロローグ
2019年6月上旬。
臨月に突入したデッカいお腹を抱えた私は、夫と長女を連れてとあるクリニックにいました。
そこはわが家から車で30分ほど離れた場所にある、小児発達外来を行なっているこどもクリニックでした。
当時2歳1ヶ月だった長女は発語がまだ見られず、「パパ」や「ママ」などの簡単な単語はおろか、なんなら喃語すらあまり喋りませんでした。
加えて発語の前段階として重要視されている指差しもまだ見られなかったので、一般的な発達の目安に照らし合わせると、完全に『要観察(グレー)』と言われる状態でした。
心配した私は「2歳 発語なし」や、「言葉 発達」というキーワードで鬼検索を繰り返しては、長女を逐一観察するようになりました。
(表情は割と豊かだよな)
(名前を呼んだら振り向くけど、何かに集中していたらなかなか反応しないな)
(クレーン現象や逆さバイバイはないな)
(クルクル回ったり、つま先歩きもしないな)
(エコラリアはないか。なんなら何も喋らないもんな)
といった具合です。
しかし不安を解消したくて始めた情報収集なのに、調べれば調べるほど不安は膨らんでいくばかりでした。
それならもういっそのこと専門家の意見を聞こうと思い、多少の怖さもありましたが、思い切って小児発達外来を予約したのでした。
待っている間、長女はおもちゃがあるスペースで夫と一緒に遊んでいました。
そして名前を呼ばれると夫が長女を抱っこし、私達は案内された部屋まで向かいました。
診察室のドアを開け、中の様子をひと目見た瞬間、長女は夫の胸に顔を突っ伏して泣き始めました。
長女のこの反応は、夫婦共々想定内でした。
長女はこれまでの数回に及ぶ予防接種ですっかり病院の雰囲気を覚えてしまい、予防接種以外の用事であろうと診察室と医者を見れば泣くようになっていたからです。
泣き出す長女を目にした40代前半くらいの男性医師は、手元にあったおもちゃを動かして長女の気を引こうとしましたが、長女は見向きもせず泣き続けました。
「じゃあちょっとお母さんに質問していいですか?」
長女をあやす事をあっさりと諦めた医者は、さっさとおもちゃを仕舞うと、引き出しから紙とペンを取り出して私に問い掛けました。
内容は長女に関する、簡単な質問でした。
「コップを自分で持って飲めますか?」
「ストローで飲めますか?」
「タ、ダ、チャと言えますか?」
などなど。
最初の質問には「できます!」と自信を持って答える事ができましたが、次第に「それはできません…」、「それはまだ難しいです…」という回答が続くようになりました。
すると医者は「そうですか」と言って質問を打ち切り、もう一枚紙を取り出しました。
そして「ではもう一度、今度は別の質問をしていいですか?」と言いました。
「お子さんをブランコのように揺らしたり、膝の上で揺すると喜びますか?」
「何か欲しいモノがある時、指をさして要求しますか?」
「あなたに見て欲しいモノがある時、それを見せに持ってきますか?」
今度はたいていの質問に「はい」と答える事ができました。
しかし前述した通りこの頃の長女はまだ指差しをしなかったので、指差しに関する質問には「いいえ」と答えるしかありませんでした。
聞き取りが終わると、医者は2枚の紙に何やら書き込み始めました。
そして「中等度の知的障害を伴う自閉症ですね」と言いました。
1歳半健診の通知が届き、同封されていた問診票を見て、ここに書かれている事がほとんどできない長女ってもしかして発達障害なのかなという疑いを持つようになった私。
それからおよそ半年の間、疑いは持っていたものの、さすがに覚悟まではできていなかったので、医者のこの言葉はさすがにショックでした。
一方、これまで夫婦で長女の発達について話し合う事はたくさんありましたが、夫は長女の発達に関して「遅れているだけだよ。まだ2年ちょっとしか生きてないのに、なにがわかるっていうのさ」と言うばかりで、発達障害とは微塵も思っていない様子でした。
なのでまさに晴天の霹靂だったのでしょう。
顔をこわばらせ、相当ショックを受けているようでした。
「今これね、発達と自閉症の検査をしたんですけどね、検査の結果お子さんは自閉症と中等度の知的障害だって事がわかりました。確かに見てるとさっきからずっとお父さんにしがみついて泣いてるでしょ?おもちゃ出しても見向きもしないし。切り替えもできてないし、これもう自閉症の特徴そのものですよね」
医者は2枚の紙を交互に見比べながら、淡々と説明しました。
夫が「それは今後、成長と共に少しはよくなるのでしょうか?」と尋ねましたが、医者は、「なりません。あまり変わる事はないでしょう」と言いました。
それでも「ならこの子に、親として僕たちがしてあげられる事はなんですか?」と食い下がる夫に対して、今度はあからさまに困った表情を浮かべながら「え〜?療育かなぁ?」と、曖昧な口調で答えました。
「でもまぁ知的が中等度でしょ?ここまでだと効果は、う〜ん…、あんま期待できそうにないんですけどね」
事態を深刻に受け止めて欲しいという医者なりの配慮なのか、それとも単に感情を隠しきれない性格なのか。
医者の言葉と表情からは、私達夫婦に対する哀れみが痛いほど伝わってきました。
我が子が自閉症。
しかも中等度という、まあまあな知的障害もある。
医者の国家資格を持った人物にそんな事を言われてしまい、それはそれは動揺してプチパニック状態に陥ってしまったのですが、それでも私には聞いておきたい事がありました。
それはお腹の中にいる第2子にもその可能性があるのかという事でした。
医者の答えはこうでした。
「充分その可能性は高いと思います。文献でもそう書かれているので。でもそれはもう、仕方ありませんよね…」
そして「だからあとはもう、精一杯愛してあげて下さい。ご家庭で」と言うと、今度は私達の出方を探るように黙ってしまいました。
しばらく沈黙が続き、重苦しい時間が流れました。
私はさっさと診察を切り上げて早くこの場を立ち去りたいと思いましたが、思い虚しく、沈黙を破って口を開いた夫が療育について質問を始めました。
そして「療育を受けるなら療育手帳があった方がいい」、「療育手帳を申請する場合診断書が必要なので、もし取得する予定ならまた来て欲しい」といった具体的な説明を受けた後、やっと診察室を『脱出』する事ができました。
こうして拷問のような時間からなんとか解放された私達は、逃げるようにクリニックを後にしました。
絶望からの救い
帰りの車の中では、なにもわからず大人しくチャイルドシートにおさまっている長女を尻目に、夫婦揃って泣きました。
私は今後、自分の性格的に(これも自閉症の影響かな?)とか、(知的障害だからこれもできないのかな?)などと逐一気にして、まるで試験官のように長女を観察し続けるだろうと思いました。
そしてなにより私という人間は器がお猪口の高台くらいしかない小さい小さい人間なので、なんといっても自分自身が哀れに思えてならず、気持ちに余裕がなくなれば長女に辛くあたってしまうだろうとも考えました。
なので「長女が自閉症であろうと、俺の長女に対する愛は絶対に変わらないし、むしろ以前より大事にしようと思ってる!!」と言い切った夫の事を、この人はなんてすごいんだろうと本気で尊敬しました。
その日は家事もほとんど手につかなかったので、夫に長女を任せてさっさと布団に入りました。
しかし全く眠れそうになく、むしろ暗く静かな部屋で横になっているとあの医者の言葉と希望の見えない未来ばかりが頭に浮かんでしまい、本気で気が狂いそうになりました。
(なんとかしてこの気持ちを吹っ切らないと!)と思ったその時、ふと医者が見せた2枚の検査用紙に『遠城寺式乳幼児分析的発達検査』、『M-CHAT』と書かれていたのを思い出しました。
(『遠城寺式乳幼児分析的発達検査』と『M-CHAT』って、いったい何の検査なんだろう)
私はこれらの検査について調べ始めたのですが、調べていくうちに偶然にもある医師のブログにたどり着きました。
ある医師とは榊原洋一氏であり、氏はわが国を代表する発達障害研究の第一人者だという事を、私はこの時初めて知りました。
榊原医師は、現在も医師として治療に携わる一方、『CHILD RESEARCH NET』 というサイトを運営し、そこで発達障害や子供の病気・教育に関する有益な情報を発信していらっしゃいます。
ここに載せられていた自閉症に関するある記事を読んで、私は衝撃を受けました。
そしてこの記事を読んだ後、私はこう思いました。
(長女はあの医者の言う通り、中等度の知的障害を伴う自閉症かもしれない。でも違うかもしれない。2歳1ヶ月という現時点では、まだはっきりと言い切れないのでは?)
私はフッと気持ちが楽になり、すぐに夫にもこの記事を見せました。
夫は、「ほらね、やっぱり!だってまだ2年ちょっとしか生きていないのに、何がわかるっていうのさ!!」とお決まりの文句を言いながら、目には涙を浮かべていました。
その後も長女が癇癪を起こしたり、名前を呼んでも反応が薄かったりすると、(やっぱりそうなのかな…)と落ち込んだり、同じような月齢のお子さんが流暢に話しているのを見ると、(なんで長女はあんな風に話せないんだろう…)と辛くなったりしました。
時には(もう生きていたくない)と思うほど絶望し、(子どもなんか産まなきゃよかった)とじ激しく後悔したり、情緒が安定しない事も数え切れないほどありました。
今振り返ってもこの時期は本当に病んでいたと思います。
しかしそういう時にこそ榊原医師の言葉を思い出しては冷静になるよう心がけ、絶望に飲み込まれる事なく気持ちを立て直す事ができました。
親の親としての想いを揺るがすのは、社会の冷たさだと知った
私が考える幸せな人生というのは、お金とか地位とかではなく、その人生の主人公がいかに楽しみながら充実した日々を積み重ね、満足のいく形で最期を迎える事ができるかどうかだと思っています。
ちなみに私は一応健常者ではありますが、「人生楽しい!」「生まれてこれてなんて幸せなんだろう!!」と思った事はただの一度もありません。(ブスだし、毒親育ちだし、人生ハードモードだからです)
しかし大学生の頃交流のあった同じ歳の女性は、障害があっても非常に前向きで活き活きとしていて、当時恋人もいましたし、私よりもはるかに人生を楽しんでいるように見えました。
なので私は親として、例え長女が自閉症でも人生を楽しくまっとうしてくれたらいいなと思いましたし、自閉症だからといってそれができないとは思っていませんでした。(ちなみに私がTwitterを始めて最初にフォローしたイーロン・マスク氏もアスペルガー症候群を告白しています。ただ発達障害=特別な能力がある(天才)という受け取り方は誤解だと思います)
しかし一方で、親はそれで良くても世間は長女を奇異な目で見るだろうし、場合によってはいじめられたりするかもしれない。それに健常者でも生きていく事が厳しいこの社会で、大人になった長女はどうやって生きていくんだろうとも考えました。
障害に対する偏見や差別が根強いのは、悲しい事ではありますが、紛れもない事実です。
私を悩ませたのは『中等度の知的障害を伴う自閉症』という診断結果でも、ましてや長女の存在でもなく、まさにこの偏見や差別でした。
特に同調圧力が異常ともいえる日本社会では、他と違うものに対する見方は、時に侮蔑的ですらあると思います。
なかには「障害のある人は他の人より税金を多く使っていて不公平だ」とか、「この先ずっと税金なしでは生きられない人は考えるべきだ」などと主張する人もいるようで、何とも殺伐とした社会だなぁと悲しくならざるをえません。
同調圧力が強く、『皆が同じで当たり前』という考えが蔓延っている日本では、障害の有無に関係なく、息苦しさを抱えながら暮らしている人がたくさんいると思います。
そもそも論として、『皆が同じで当たり前』という事は、絶対にあり得ないわけです。
なので早くその事に気づいて、『皆が違って当たり前』という考えを、もっと社会全体に浸透させてはいかなくてはなりません。
多様性を認め合うその第一歩として、まずは個々について尊重し合う文化を本気になって築き上げて欲しいと思いますし、数年後には「何いってるの?そんなの常識でしょ!!」とごく自然に言えるまでになって欲しいなぁと思います。
そして誰もが生まれてきて良かったと思えるような社会を実現し、誰もが社会の一員として胸を張って生きていけるようになればなぁと、切に願うばかりです。
クリニック受診後から現在までの長女
さて長女ですが、例のこどもクリニックを受診してすぐ、なんと指差しを始めました。
(なんちゅータイミング!!)
その後3歳目前で保育園に通うようになり、その数ヶ月後に集団療育と個別療育を開始しました。
(もうあの医者には会いたくなかったので、療育手帳は申請せず受給者証を取得しました)
療育を検討し始めた頃はどこにも空きがなく非常にやきもきしましたが、運のいい事に同じくらいのタイミングで行きたかった両施設に空きが出ました。
集団療育の施設は保育園と同じ法人が運営しているので、お互いの連携がものすごくとれています。
週に2回通っていますが、保育園からも近く、送迎もあるので、親の負担は全くありません。
個別療育は月に2回で、言語聴覚士による言語訓練を1時間みっちり受ける事ができ、必要であれば心理士の支援も受けられるなど、体制が充実しています。
ここは医療機関が運営している施設で、計画書には医師も目を通す事になっています。
個別療育は送迎はなく、夫が仕事を休んで連れて行くのですが、つい最近担当の言語聴覚士の方からある検査の結果を見せられたそうです。
その検査は言語能力を調べる検査らしく、詳しくは忘れたそうですが、結果が3歳◯ヶ月となっていたそうです。
ただ言語聴覚士の方からは、こう補足されたそうです。
「この検査は少し厳しい検査で、何も回答がないと0点になってしまうんです。一方間違った回答でも何かしらの回答があれば、答えようとしたという事で点数はつきます。長女さんの場合、性格なのでしょうが、わかっているけど自分の答えに不安があって黙ってしまうという場面が結構あります。なので普段の理解度を考えると、ここでの結果は3歳◯ヶ月となっていますが、実際はもっと上、4歳くらいのレベルはあると思います」
長女は現在4歳8ヶ月。
という事は、3歳まで全く喋らなかったという状態から、ものすごい勢いでキャッチアップしている事がうかがえます。
長女は中等度の知的障害を伴う自閉症だけど、環境に恵まれたおかげでここまで伸びる事ができたのか、はたまたあの時の診断が誤診だったのか、それはまだわかりません。
ただ保育園では、先生やお友達と楽しく過ごしている様子が連絡帳や先生のお話を通して伝わってくるので、長女は長女なりに社会生活を上手いことやっているみたいです。
本人がどう思っているのかはわかりませんが、親の私が見る限り長女は非常に幸せそうなので、周囲から多少クセが強い子供だと思われる事があったとしても、それはそれでいいかなと、今となっては思っています。
エピローグ
ここで「長女の事はわかった。ところで2番目の子はどうなった?」と思った方。
非常に鋭いお方だとお見受けします。
例のこどもクリニックを受診した約1ヶ月後、アメリカ合衆国の独立記念日にめでたく次女が誕生したのですが、現在2歳6ヶ月になる彼女に関しては、顔がパタリロに激似という事以外、特に心配はしていません。(適当な引用画像がなかったので、パタリロを知らない方は以下の『白泉社 パタリロ!35巻』のリンクから確認下さい)
もともと持って生まれたものなのか、2番目の利点なのかはわかりませんが、とても理解が良く、ありがたい事に周囲からも非常に可愛がられています。
私は母親になって気付いたのですが、母親ポテンシャルがめちゃくちゃ低い女でした。
なので多少子供達に手がかからなくなった今でも、子育てに関して悩む事はたくさんあります。
しかし少なくともあの頃のように、絶望するという事は決してありません。
こういうセンシティブな問題で素直な気持ちを表に出すと、必ず「それって差別じゃないですか?」という的外れな正義感を武器に攻撃してくる偽善者がいると思います。
もしそうなった場合、私個人の答えとしては「私がどう思おうがあなたには関係ないですよね?あなた私が悩んでいた時に何かしてくれましたっけ??」です。
例えば私がなんらかの犯罪に手を染めそうなちょっとヤバい思想の持ち主なら更正の余地はあるかもしれませんが、本来他人の考えや感情の持ち方に他人が口出しをする事ではありません。
それにわが子に対して健やかで幸せな人生を歩んで欲しいと願うのは親として当然の事で、これはもう嘘偽りのない真摯な想いではなかろうかと思っています。
今まさにお子さんの発達に関して悩んでいらっしゃるお父さん、お母さん。
それはそれは辛い時間を過ごしている事とお察しします。
医師でも神でもない私からは何も言う事はできませんが、大事なのはあなたとお子さんなので、周囲の雑音はフルシカトでいいと思います。
そしてなかにはこういう事例もあるという事を知っていただけたら幸いです。
そして「話長っ!!全然ブレイクじゃないじゃん」と思った方。
非常に鋭いお方だとお見受けします。