とりあえず、"SO WHAT?"

30代後半からエンジニア転職を目指すパート主婦が、転職活動や日々思った事を自由気ままに綴る雑記ブログ

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人生を賭けた敗者復活戦!!30代後半から挑むエンジニアまでの道-プロローグ①-【夢と挫折と迷走と】 

富士山

あけましておめでとうございます。

2022年になりました。

以前、「私のブログでは30代後半のパート主婦がエンジニアへの転職を成功させるまでを書き綴っていきますよ〜」と言いました。

しかし自分のブログの核となる記事を年の瀬から本格的に書き始めるのはなんとな〜くキリが悪い気がしたので、年が明けて最初の投稿である本記事からはりきって書き始めていきたいと思います。

早速ですが、今回はエンジニア転職を決意するまでの話になります。

※今回の記事には私の現職種である理学療法士に関して、私の率直な気持ちが書かれています。

ただ同じ理学療法士でも、高いモチベーションや並々ならぬ決意を持ってなった人、実家や配偶者に経済力があって経済的な心配をしなくてもいい人、上昇よりも安定を重視している人等状況や考え方はそれぞれです。

なので当然ですが全ての理学療法士に私の言っている事が漏れなく当てはまるというわけではありません。

その事をよーく頭に入れてお読みください。

夢と自信と迷走と

いきなりアホな告白をしますが、かつて私は、自分は超売れっ子漫画家になると思っていましたし、なれると信じて疑いませんでした。

なぜなら自分の唯一無二の特技は絵を描く事で、これに関しては誰にも負けないと根拠のない自信を持っていたからです。

それに子供特有の空想癖なのか、小さい頃から話を考える事も好きでしたので、自分の天職は漫画家だろうと、自分ならきっと面白い作品をたくさん世に生み出す事ができるに違いないと本気で信じていました。

一方母親は、子供達には堅実な道を歩んで欲しいのに、長女(私)は漫画家になるなんて博打のような事を言っている。

仮にこの姉の戯言をそっくりそのまま許したら、妹や弟がどう思うか。

もし今後下々の者が突拍子のない事を言い出して反対しようものなら、「どうして!?お姉ちゃんばっかりずるい!」と言われかねない…。

そう考えたそうです。

そこで漫画家になりたいという私に対して、「好きな事をしたいならまずは何かしら資格を取りなさい」と条件を出しました。

わが家では母親の言う事は絶対だったので、その言葉に反抗するなどという恐ろしい事は微塵も考えず、私は何の資格を取ろうか考え始めました。

そして手塚治虫先生の名作『ブラック・ジャック』が好きで、「間黒男みたいになりたいぜ!!」という理由だけで医学部に行こうと決意するのです。
(アホ)

医学部進学を決意するだけなら誰でもできますが、実現するのは至難の業です。

地方の中堅進学校出身の学力では国公立大学の医学部は雲の上のような存在で、結果的に私は2浪します。

そして2浪する事が決まった19才の春、私は改めて大事な事に気付くのです。

(待てよ。私は医学部に行って医者になりたいんじゃなくて、漫画家になる為に資格をとりたいんじゃなかったっけ??)

そう!!!!!!!!!

私は本来の目的を見失って完全に迷走してしまい、10代最後の大事な2年間を棒に振ってしまったのです。
(アホ、ここに極まれり)

ようやく目が覚めた私は即方向転換を図り、当時非常に人気だった理学療法士の資格を取るべく、福祉系の大学に進学しました。

そして大学卒業後は理学療法士として働きながらせっせと漫画を描き、投稿したり、スキルアップの為にスクールに通ったり、出版社まで持ち込みに行ったりしましたが、結局27歳で挫折してしまいました。

先にも述べましたが、若かりし頃の私には、自分は漫画家として成功するという絶対的な自信がありました。

なのでキャンパスライフという本来ならキラキラと眩しいはずの日々が、実際には勉強とバイトだけの灰色の日々であろうとも、実習やテストがうまくいかず、卒業に暗雲が立ち込めるような事があろうとも、(自分は将来的には成功するんだから、こんな事は小さな事だ!)と常に前を向き、突き進む事ができました。

しかし超売れっ子漫画家になるという夢が現実という壁にぶちあたって脆くも崩れ去ってからは、今まで自分自身を支えていた前向きな気持ちも一緒に消え失せ、同時に(私が私を裏切ったんだ)という思いに支配され、自信を完全に失ってしまいました。

自信崩壊後、またもや迷走

そんな私の手元に唯一残ったのが理学療法士の国家資格でした。

しかし以前は人気で給与も悪くなかった理学療法士でしたが、診療報酬の改定で収益への貢献度が大幅に減り、養成校の乱立で有資格者が爆発的に増加してからは、給与水準がどんどん下がってしまいました。
(悲しいですが、当然の流れですよね)

私自身も勤めていた病院が閉院する事になって最初の転職を経験するのですが、この転職で月収が7万ほど下がってしまい、この世知辛〜い流れを身をもって痛感しました。

なので理学療法士しか残ってないとはいえ、去年よりは今年、今年よりは来年というように、収入がどんどん上昇していく人生を歩みたいと考えていた私にとって、これから先も下降が予想される理学療法士は、生涯の仕事としては完全にナシでした。

ではこれから先、右肩上がりの収入を得ていくためにはどの道に進むのがいいだろうか?

私は懸命に色んな道を模索しました。

しかしここでかのイーロン・マスク氏のように、

「大学生の時、将来人類にとって最も重要になるものは何かを考えた。答えはインターネット、持続可能エネルギー、そして複数の惑星での生活の3つだった」
引用元:『週刊東洋経済』2013年1月12日号

と、先見の明が私にもあればよかったのですが、そんなものを全く持ち合わせていなかった私は、税理士か公認会計士の資格を取ろうと簿記を勉強したり、大学の再受験を視野に高校の教科書と参考書を買って勉強を始めたりと、またまた迷走を始めてしまいます。

でも費用や時間を考えると現実的ではなかったし、何より「好きだ」とか「やってみたい」という前向きな気持ちや目的が全くなかったので、モチベーションを維持する事が難しく、どれも途中で断念してしまいました。

理学療法士から離れてみる

とにかく私は、自分の給与が低いという事が嫌でした。

保険やクレジットカードの申し込みをする時、年収を書くのが嫌で嫌で、恥ずかしくてたまりませんでした。

確かに私は、「理学療法士になりたい!」という熱い想いを持ってこの職種を選んだわけではありません。

でも他の仕事と比べてどうとかという事ではく、あくまで事実として言わせていただきますと、理学療法士は社会に間違いなく必要であり、求められる事も高度で大変な事がたーーーーくさんある職種です。

それに私自身一応公立の大学を出て、恵まれた環境で高度な専門教育を受け、国家資格を取り、きちんとやるべき仕事をして他者貢献をしているのは間違いありません。

それなのにこの給料ってどういう事だよ!!

今の私とこれまでの私に対する評価がこれっぽっちなのかと思うと、しかもそれが定年退職までほとんど変わる事がないのかと思うと、ものすごく虚しく思えてきました。

他の道を歩みたい。

でもどの道に方向転換すればいいのかわからない。

完全に職業選択を失敗した、ああ人生詰んだわ。

そんな風に思いながら、私は絶望の淵で懸命にもがいていました。

しかし、そんな迷える私に転機が訪れます。

当時はまだ彼氏だった夫が関東の大学院への進学を目指しており、合格したら結婚して関東へ一緒に行こうという話になったのです。

結果的には不合格で関東移住の話は無くなったのですが、私は当時勤めていた病院の就業規則に則って3ヶ月以上前に退職を申し出ており、当然関東移住の話が無くなったからといって退職を取り消す事はできなかったので、予定通り退職する事になりました。

そのまま結婚して一度家庭に入る事になったのですが、この時私は、(次に社会に返り咲く時は絶対に理学療法士はやらない!!!)と、密かに誓いを立てていました。

その後子供が2人生まれ、社会から隔絶された生活を5年ほど送っていました。

ただ夫の給与だけでは生活がカツカツだったので、何のストレスもなく、悠々自適な毎日を子供達と送っていた…というわけではなく、常に社会に復帰する時の事を考えていました。
(ちなみに夫も医療従事者です)

そして2020年6月。

長らく稼げる道を模索していた私は、エンジニアという職種を知る事になるのです。