とりあえず、"SO WHAT?"

30代後半からエンジニア転職を目指すパート主婦が、転職活動や日々思った事を自由気ままに綴る雑記ブログ

20220328113618

入社初日から今日までを振り返る

落ち葉の上で回想する女性

皆様お久しぶりです!!!!!

長らくブログを放置しておりましたが、この2ヶ月間非常に目まぐるしい日々を送っておりました。

ザッと紹介しますとこんな感じです。

 

 

これだけじゃ何もわからないと思いますので、順を追って説明していきますね。

ただ少しばかり長くなりますので、お時間のない方はここでまわれ右して下さい。

 

中途入社手続きと研修のため本社へ

私は基本的にフルリモート勤務ですが、面接の時に「場合によっては会社に来て欲しいとお願いする事もあると思いますが、そうなったら来ていただけますか?」と言われ、「事前に言っていただけるのであれば問題ありません」と答えました。

そして早速「入社日とその翌日は出社して欲しい」と言われたので、7年ぶりに飛行機に乗って本社のある東京まで行ってきました。
(ちなみに交通費&ホテル代は全額会社負担)

夫は「こっちの事は任せて、君は東京を楽しんで来てね」と言って私を送り出してくれ、私としても気軽なひとり旅という事でワクワクするかなと思いきや、

 

(ビルばっかだな。どんな人が働いてるんだろう)

 

(あれがタワマンかぁ。どんな人が住んでるんだろう)

 

と、予想に反して久しぶりの大都会にただただ圧倒されてしまいました。

日頃から『東京=高所得者が溢れた場所』というイメージを持つ私は、そんな場所に『金なし、才能なし、学歴なし、若さなし、自信なし』というないないづくしで降り立ってしまったので、勝手に卑屈になってひるんでしまいました。

若い頃は「私も超売れっ子漫画家になって成功するんだ!」という謎の自信があったのでそんな感情は湧かなかったのですが、たくさんの「現実」を学んで身の丈を思い知った今の私には、東京は(自分を見失わずに生きていくのは難しいな)と思ってしまうほど、果てしなく巨大で淋しい場所になっていました。

さて話は変わって記念すべき入社当日ですが、私は面接でしか着ていないスーツをクリーニングに出して、それを着て出社しました。

ホテルから本社まで順調に行けば15分くらいの道のりを「え?東京初めてですか?」と言わんばかりに迷いに迷い、超余裕を持って45分前にホテルを出発したにも関わらず、あわや遅刻か!という事態にまで陥りました。

しかしこの時慌ててダウンロードしたGoogle Mapsのナビのおかげでなんとか遅刻を回避し、無事本社にたどり着く事ができました。

8月入社の社員は私を含め6名だったのですが、なんと私以外の皆さんは普段着よりちょっとお洒落しましたという感じの服装で、スーツを着ていたのは私だけでした。

 

(え?今の常識ってそうなの?)

 

(入社日ってそんなカジュアルな感じでOKなの?)

 

完全にひとり浮いてしまい、猛烈に恥ずかしくなった私は、中途研修が始まる前に近くのコンビニにメモ帳を買いに行ったのですが、周囲の状況に全く注意を払えずビルの回転扉に挟まってしまいました。

そんな感じでちょっとしたハプニングはありましたが、人事の方はすでに面接で何度も話をしていて非常に話しやすい方だとわかっていましたし、同期の皆さんも感じの悪い方はひとりもいなかったので、中途研修自体は非常に楽しく終える事ができました。

 

帰ってすぐ救急車で搬送される

東京から帰った翌日、いよいよ通常勤務が始まりました。

当然ながらこの時の私にはまだ具体的な仕事(案件)はなく、まずはeラーニングによる研修が始まりました。

初日だった事もあって真面目に動画を視聴していたのですが、午後になって突然左の肋骨あたりがシクシクと痛みだしました。

最初は(肋間神経痛かな)と思って湿布を貼ってみたのですが、痛みは弱まるどころか強くなっていく一方で、しまいには座っているのも難しくなりました。

とは言え横になっても全然楽にならないので、(これは絶対ヤバいやつだ!この痛みを抱えたまま夜は越せない!!)と判断した私は、上司(リーダー)に事情を説明して早めの退勤を申し出ました。
(フレックス最高!)

そしてたまたま休みで保育園に娘達を迎えに行っていた夫に電話をして、「救急車を呼んで欲しい」と頼みました。
(電話が苦手)

激しい痛みと冷や汗に耐えながらガタガタ震えていると、「大丈夫!?」と夫が血相変えて帰ってきて、そのすぐ後に救急車が到着しました。

担架に乗せられて救急車に乗り込むと、夫と救急隊員の方が何やら話をしていました。

 

(早くしてくれ〜!)

 

この時の私は絶命を意識してしまうほど痛過ぎて痛過ぎて、正気を保つのがやっとというくらいギリギリの状態でした。

なので緊急車両として天下御免で赤信号も進める救急車に乗っているとはいえ、病院までの道のりが非常に長く感じました。

救急外来に到着し、おそらく研修医であろう若い男性ドクターの質問に答え、鎮痛剤の点滴をしながら採血、尿検査、CTを撮りました。

これらの検査の結果からでた診断は「尿管結石」。

先ほどの若い男性ドクターと、おそらく彼の指導者であろう中年の男性ドクターがCTを見せながら夫に何やら説明をしていたのですが、バッチリ左の尿管に白い影(結石)が写っていました。

「多分脱水もあったのかもしれません。腎盂腎炎とか水腎症になったら危ないので、水分はとにかくたくさん摂取して下さい。あと腎臓にまだ石が残っていてこれが落ちてきたらまた痛むと思うので、重ね重ねになりますが水分はたくさん摂って下さい」

 

スーーーーーツーーーーーー!!!

 

超炎天下の東京でスーツ着て道に迷ってウロウロしていたので、脱水症状になった心当たりはバッチリありました。

「わかりました。ただ私はとにかくこの痛みがめちゃくちゃ怖いです!」と必死に訴えると、ドクターは痛み止めと結石を溶かす薬を処方してくれました。

この2日後。

まだ左の脇腹に猛烈な痛みがあったので、地元で有名な泌尿器科に行って改めて診察を受けたのですが、レントゲンの結果結石がまだ左の尿管(まさに脇腹付近)に鎮座しておりました。
(今はもう痛みはないので流れたと思います。多分…)

余談ですが娘達はこの後しばらく「ママは救急車に乗った」というのを保育園で言って回り、先生方から代わる代わる「体調は大丈夫ですか?」「大変でしたね」と声をかけられる日々が続きましたとさ。

 

気を取り直して研修再開!…からの放置プレイ始まる

私はIT企業にコンサルとして採用され、コンサルのグループに所属しています。

が、もともと面接で「エンジニアになりたい!!」という想いをこれでもかというほど熱く語っていたので、「まつかぜさんにはローコード開発(※)のプロジェクトに参加してもらうつもりでいるから」と、かねてからリーダーに言われていました。
(※ローコード開発とは簡単に言うと、ほんの少しのコードを書くだけでアプリが作れる開発方法の事です)

それに先立って研修(eラーニング)が始まったのですが、これがもうびっくりするほどわからない(笑)!!

というのも講師が淡々とローコードでアプリを作っていく過程を説明しているだけで、その開発手法を知っている人が見たら「うんうん、そうだよね」みたいになるとは思うのですが、私みたいな初学者が見たら「ふ〜ん。で??」としかならないような超ざっくりとした内容でした。

なので(なるほど!私は未経験入社だから、今はこんな技術もあるんですよ〜って紹介するための動画かな!?)と思ったのですが、この考えをリーダーにそれとな〜く伝えてみたところ、「まつかぜさんにはいずれその技術(ローコード開発)を使ったプロジェクトに参加してもらう予定だって言いましたよね?なので理解度と習熟度を深めて下さい」と言われました。

 

え?

この動画だけでそんな高いレベルまでいけと??

 

このローコード開発の勉強ですが、何がキツいかって、動画でわからない事が出てきてそれをどんなに調べても的確な回答にたどり着けないんです。
(ネット上に参考になる情報が少ないこと少ないこと!)

おまけに解説がアラビア語をドイツ語で説明しているのかってくらい、全く意味がわからない。
(これを言ったらエンジニアさん方は「その通り!」と言って笑っていました)

そして私がこの窮状をグループ内のミーティングでどんなに必死に訴えても、グループのメンバーは皆コンサルでローコード開発に関する知識がほとんどないので、最終的なアドバイスはいつも「わかる人にチャットして聞いてみて下さい」で終わるのでした。

詰んだ??

 

とまぁこんな感じだったので、やがて私は非常に大きなストレスとモヤモヤを抱えるようになりました。

やってる事もコンサル業務とは全くかけ離れているという事もあり、グループ内でも次第に浮いた存在になり、ちょっとした“放置状態”になってしまいました。

 

古い保険証使っちゃったけどどうするの!?

入社してしばらくして、夫が「君の保険証を貸して欲しい。扶養から外れたから総務に返しにいく」と言いました。

そしてこのやりとりの最中、我々夫婦は超重要な事に気付きました。

それは、

尿管結石で病院に行った時この保険証使っちゃったけど、それってダメなんじゃない?

という事です。

これまでは正社員勤務がほとんどだったので退職時に保険証を返していたのですが、最後のブラック介護施設では初めてパートとして勤務しました。

この時夫の扶養に入っていたので、退職後も保険証は手元に残ったままでした。

手元にあったので何の疑いもなくそれを使ってしまったのですが、よくよく考えれば私はもう転職し、新しい保険証を貰えるはずなので、この保険証は使えません。

この事実を知って慌てて救急車で運ばれた病院に電話すると、「新しい保険証を持ってきて下さればいいですよ」と言われたので、保険証が届いてすぐその病院と後日診察を受けた泌尿器科に保険証を持って行きました。

レセプト(診療報酬明細書)提出前だったのでこんな簡単な手続きだけで済んだのですが、これがレセプト提出後だったら結構めんどくさい事になっていたらしいので、本当に申し訳ない事をしました。

 

久しぶりに忙しいお盆

今年は母方の祖父の初盆でした。

母は超がつくファザコンなので、孫として祖父の初盆をきちんとしなければ後々めんどくさい事になります。

なのでちょっとしたお供物とお金を用意して母に渡し、お寺でみんなと一緒にお経を聞いて、祖父の家に行って仏壇に手を合わせてと、ひと通り母が満足する流れをこなしました。

これ以外にも7年ぶりくらいに中学校の同級生と会ったり、久しぶりに他県に住む義兄(医者)が帰って来てめんどくさい事が義実家で起こったりと、それはそれは盛り沢山なお盆を過ごしました。

 

マンションの更新迫る!?引っ越しか更新か!

わが家は現在賃貸マンションに住んでいます。

お互い実家が持ち家(戸建て)なので、最悪雨風を凌ぐ場所に困ることはないだろうというのと、ある程度自由がきく方がいいだろうという事で、今後しばらくは賃貸生活が続くと思います。

かつてはアパートの2階に住んでいたのですが、長女がハイハイをするようになってから1階の住人が天井や壁をガンガン叩くという嫌がらせをしてきたので、RC構造マンションの1階に引っ越しました。

この引っ越しは予定外でお金もたくさんかかりましたが、概ね満足していて後悔はありません。

ただ現在住んでいるマンションは建物自体は特に問題ないのですが、周辺環境があまりよくありません。

というのもマンションの目の前が宅急便の集荷場で、朝から晩までたくさんのトラックが排気ガスを出しまくっているので、決まった時間帯しか窓が開けられず、洗濯物も干せないのです。

でも物件探しとなれば保育園の事をまず考えなければなりませんでしたし、そんななか他に目ぼしい物件を見つけられなかったこともあって、この点は仕方なく妥協しました。

しかしこのマンションから小学校までは非常に遠いので、我々夫婦は「このマンションは長く住むというより、長女の就学までの期間限定の住居として割り切ろう!いずれどこの小学校に行くのが娘達にとって最適なのかをしっかり考えて、その時物件を吟味して引っ越そう!」と決めました。

そんな折、マンションの契約更新の通知が来ました。

実は通知が来る前から希望の学区への引っ越しに向けてあれこれ動いたのですが、なかなか人気のある地区だからか、希望に合った物件を見つける事ができませんでした。
(その地区は家賃が高いんですよ!ど田舎のくせに!)

やっと「ここいいんじゃない?」と思える物件を見つけ、ア◯マンショップに内見の予約をして行ったのですが、「ここのマンションの駐車場は、車高が140cm以上の車は無理なんですよ〜」とサクッと言われてしまいました。
(そんな大事な情報ちゃんと書いとけよ)

仕方なく周辺で月極駐車場を探したりもしましたが、結局更新期限までに話がまとまらなかったので、もうしばらく現在のマンションにとどまることにしました。

 

体調不良が続く

仕事はもちろん、引っ越しか更新かなど、あれこれ考えなくてはならない事が多かったこの時期は、非常にストレスフルな日々を送っていました。

さらに保育園ではRSウイルスやヒトメタニューモウイルスなるものが大流行しておりまして、保育園を欠席(病欠)する園児が毎日15名ほどいました。

そんななか保育園の参観日があったのですが、参観日に行ってすぐ、見事に私が体調を崩してしまいました。

発熱や喉の痛みは3日程で回復しましたが、いまいちスッキリしない状態が続き、そうこうしているうちに今度は長女が熱を出してしまいました。

長女は1日で良くなりましたが、次女と夫も長らく咳をしていたりと、皆何かしらの不調を抱えながら何とか日々をこなしていました。

 

次女の七五三の写真撮影に行く

次女、3歳。

七五三の写真を撮るため8月にスタジオまで衣装合わせに行き、9月に撮影の予約をしました。

小さなお子さんがいるご家庭なら共感していただけると思いますが、子供が小さいうちは先の予定を立てると非常に神経を使います。

子供が体調を崩してしまっては全てが一旦白紙に戻るからです。

子供というのは、特に保育園に通っている場合は高確率で「え?狙った?」ってくらい予定に合わせて体調を崩すので、こちらとしては気が気でありません。
(長女は私の弟の結婚式の直前に体調を崩しました)

おまけに今回は写真撮影なので、後々まで残ります。

大きくなった次女が写真を見てゲンナリしないように、体調管理に加え、顔にケガをしないように、目が腫れたりしないように、撮影前に泣かないようにと、細心の注意をはらいました。

苦労の甲斐あって撮影は無事終わりましたが、ドッと疲れが押し寄せました。

地獄で仏!←今ここ

さて。

eラーニングの研修と並行して、前々から言われていた通りローコード開発を使った開発プロジェクトにアサインされた私。

まるで棍棒という到底武器とは言いがたい武器しか持っていない状態なのに、モンスターの巣窟に放り込まれたかのような哀れな状況に、それはそれは不安しかありませんでした。

 

自分自身に技術はない。

教えてくれる人もいない。

このプロジェクトのメンバーだって知らない人ばかり。

ここで一体私に何ができるって言うんだ??

 

入社以来これでもかという程精神的負荷がのしかかる状況が続いており、私としても具体的なアドバイスをくれないリーダーや、きちんとした教育環境が整っていない会社の現状に、(入社前の話と違うじゃん!)と、イライラと怒りがピークに達していました。

そんな時、ひとりのエンジニアさんが私に質問をしてくれました。

その質問に正確にお答えするには、まずは自分の置かれた状況を説明してからの方がいいだろうと考えた私は、なぜコンサルの私がこのゴリゴリの開発プロジェクトにアサインされたのか、その経緯を説明しました。

するとそのエンジニアさんは「そうだったんですね!何も把握しておらずすみませんでした。こちらもできる限りフォローします!」とおっしゃって下さいました。

が。

世の中には社交辞令という言葉があります。

ありがたいとは思いつつ、このエンジニアさんご自身も非常に忙しい立場だというのはわかっていたので、私としてはこの言葉を真に受けてはいませんでした。

ところが、です。

私の予想に反してこのエンジニアさんは、折を見て「今ちょっとお時間いいですか?」と呼び掛けてくださり、ローコード開発について詳しく解説して下さいました。

そしてプロジェクトに関しても「マジわかんないっす!!」という、何がわからないのかもわからないような私の低次元な質問に対しても快く回答して下さったり、私のキャリアプランを一緒に考えて下さったり、挙句の果てにはグループ内で放置されている私の現状を危惧してリーダーに掛け合って下さったりと、その言葉通りしっかりフォローして下さいました。

 

あなた神様か何かですか?
(ちなみにリーダーはその話を忘れるというね)

 

しかし、そんなエンジニアさんのご厚意をありがたいと思う一方で、会社命令(仕事)でもないのに私なんかに時間と手間を取られて大丈夫なんだろうかという不安もありました。

ただある時エンジニアさんが「実は僕は前々から教育とか指導とかに興味があったので、今の状況は僕にとってもチャンスなんですよ。つまりお互いにとってwin-winなので、全然気にしないで下さいね」とおっしゃってくださったので、だいぶ気持ちが楽になりました。

 

ローコード開発は簡単だのスピーディーだのと言われていますが、全然簡単じゃありません。

プログラミングの知識がなくてもできると謳ってはいますが、やはりハードルはそれなりに高いですし、Excelの関数がわからない人はバイバイキーンって感じです。
(それ私ね)

なのでわからないところが出てくるとパソコンをぶっ壊しそうになりますし、脳みそが異空間にテレポーテーションしてしまいます。

それでも我に返って頑張ろうと思えるのは、いずれ他の社員さんから「まつかぜさんすごいよね」と言われるまでにのぼりつめ、「でもまつかぜさんって未経験入社らしいよ。エンジニアの◯◯さんが指導してたっぽいけど」「え?◯◯さんすごくない?」と言われるようになってエンジニアさんに恩返しをしたいという想いがあるからです。

そんな日を夢見つつ、今は四苦八苦しております。

 

以上簡単に紹介しましたが、こんな感じの濃い〜日々を送っていましたので、なかなかブログを更新できずにおりました。

少しずつ会社にもなれ、今となっては気持ちにもだいぶ余裕が出てきましたので、また機会を見つけてブログも更新していきたいと思っております。

今後ともよろしくお願いします。