何者でもない私、勝手に始めたtwitterを勝手にやめる
※今回はちょっとアホな内容になっています。アホに付き合いたくない方は回れ右をして下さい。
三国志にはたくさんの武将が出てきますが、歴史に名前を残した彼らよりも、私はきまって名もなき兵士や民衆の方に思いを馳せます。
なぜなら私はそっち側の人間だから。
中学生の頃、(あー戦国時代に生まれていたらなぁ。武功を立てて、絶対のしあがってやるのに)と根拠のない自信を持っていましたが、自分の能力が痛いほどわかってきた今思えば、仮にあの時代に生まれていたとしても、私は武将にはなれなかったでしょう。
おそらく一兵卒か貧農としてひっそりと生きて、ひっそりと死んでいったと思います。
(恐るべし中二病)
子供の頃、自分が40歳になるというのはだいぶ先の事だと思っていました。
そんな40歳がすぐそこに迫っている今、私は(これまで生きてきて、私はまだ何も成し得てないなぁ)と強く思うようになりました。
それと同時に若さという人生のボーナスをうまく使いこなせずここまできてしまった事もあって、もう何者にもなれないだろうという諦めと寂しさを痛感しています。
ちなみに何者かになるというのはテレビに出たいとか、歴史に名を残したいとかではありません。
どういう事かと言いますと、例えばブログや仕事、なんでも構わないのですが、自分で始めた事の中で何かひとつでも(ああこれでは思っていた結果を残せたな)というものが欲しいのです。
しかし今の私にはそれがありません。
何もできていないか、中途半端で鳴かず飛ばずといった感じです。
特にtwitterですが、twitterは例えるなら雑踏の中で声をあげることです。
声をあげたその人自身が著名人だったり、ツイートの内容が(おっ)と注目を集めるようなものでないと、当然ですが見向きもされません。
(スルーの嵐)
さらに言えば今の時代は「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」というのが重視される傾向にあるので、「詠み人知らず」の言葉が拾い上げられる事は稀だと言えます。
そんな事実は百も承知でしたが、いざtwitterをやってみてなんのレスポンスもなかったり、“いいね”が少なかったりすると、やはり虚しさと寂しさは否めません。
かつて私は、SNSに対してネガティブな印象があり、興味もありませんでした。
ところが去年の8月、某働きやすい企業に応募するにあたって、その企業で実際に働いている社員さんから情報を得る為にtwitterを始めました。
結果的に情報収集はうまくいかず、せっかく始めたtwitterでしたが用が無くなり、しばらく放置していました。
しかし「SNSの活用がブログ成功の鍵だ!!」というのを小耳に挟み、はてなブログにブログを移行する少し前から本格的にtwitterを再開しました。
ところが、です。
私と同じ時期にブログとtwitterを始めた人の中には、いつのまにかフォロワーを3000人まで伸ばしている人もいたりして、そしてそんな人は何かしらツイートすれば“いいね”を50とか100とかもらっていたりするのを見て、自分のツイートに“いいね”がひとつもつかない事もあった私は、その差に心が折れました。
そしてtwitterは自分には向いてないという事を改めて自覚し、楽しくないどころか精神的な負担になっていると感じたので、思い切ってやめる事にしました。
8月から働き始める会社はブログとtwitterが運んできてくれた縁だったので、やはり躊躇いもありました。
なのでこんな事を言いつつも、もしイーロン・マスクがtwitterを完全に買収して、何かしらの面白そうな機能がついたりしたら、その時はまた再開するかもしれません。
以上、どうでもいい報告でした。