泣いていいですか? 〜前編〜
【登場人物】
私:デイサービスで機能訓練指導員として勤務している理学療法士(パート)。7月いっぱいで退職が決まっている。
Mさん:同じ事業所内の訪問看護ステーションで働く役職付の看護師。この3人の中では一番職位が高い。デイサービスの業務には一切関わっていない。
管理者:デイサービス管理者。
【状況】
30以上の事業拠点(主に介護)を運営する会社で勤務している。これまで一部の看護師やセラピストは各事業所に所属という形をとっていたが、組織改革に伴い今年6月から看護師とセラピストは全員「医療事業部」という部署の所属となり、形式的には医療事業部から各事業所に配属しているという事になった。これにより私には現場の上司(デイサービス管理者)、部署の上司(Mさん)という2人の上司ができた。
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もう長女の保育園の行事には参加したくない(涙)
長女、5歳、保育園年中。
次女、もうすぐ3歳、未満児クラス(最後)。
先日保育園の運動会がありました。
当日は駐車場から会場である小学校の体育館までは歩いて行くようにと指示がありました。
(歩いて15分くらいの距離)
ところが「行くのやめようかな…」と本気で心が折れそうなほどの土砂降りで、会場に着く頃には家族4人びしょ濡れになっていました。
受付を済ませると、ちょうど準備体操が始まるところでした。
次女は先生に連れられてクラスの待機場所へ。
長女も数名の先生から「体操が始まるから行こうか」と声をかけられたものの、なぜか渋る。
(あんた家ではめちゃくちゃ練習してたやん。この日のために買った保育園Tシャツも「着ていい?」って毎日のように聞いてきて、ずっと楽しみにしてたやん。なのに、なぜ??)
そんな私の戸惑いをよそに「いや〜」を連呼し、わが家で言うところの“めんどくさいモード”に突入した長女。
しかしただでさえ雨に濡れて気持ちが下降気味だった私は、そんな面倒臭い長女を積極的に無視しました。
(もはや構う気力がない)
すると見かねた夫が長女と手を繋ぎ、お利口さんな園児達が体操をしているところまで長女を連れて行きましたが、連れて行っても連れて行っても夫のところに駆け寄って来たので、結局体操はできませんでした。
(嫌なスタートだな。雨にも濡れてしまったし、もう帰りたいな)な〜んて事を思っていると、次女のクラスの先生から「ご両親のうち、一緒に競技に参加して下さるのはどちらでしょうか?」と声を掛けられました。
(しまった!親子競技参加に◯をしてしまったんだった!!)
夫の方を向くとサッと指で合図をされたので、(ですよね)と思い、ここは◯をした責任をとって私が行く事にしました。
次女は先生から名前を呼ばれたらしっかりと返事をし、競技も完璧にこなしました。
次女は発達・発育共に心配の“し”の字もない、親にとっては本当にありがたい存在です。
(性格にはやや不安あり)
次女の出番はこの親子参加の競技だけだったので、私は次女を連れて夫の元へ行きました。
夫は三脚にビデオカメラをセットしていました。
(三脚要らなくね?)
次は長女の短距離走だったのですが、また長女が私達の方に寄って来て夫がクラスの待機場所まで連れて行ったので、急遽私がカメラ番長になりました。
結果的に長女は短距離走に無事参加できたのですが、なんと私が録画ボタンを押すのを忘れてしまい、その勇姿を記録する事はできませんでした。
(マジでやってしまった!)
ただこの短距離走がピークで、それからの長女はもう最悪の一途をたどりました。
最悪その①、「障害物競争」。
長女は順番を待つ間寝そべって、全身で「参加したくない」という意思を表現していました。
先生に促されるとやっと起き上がり、「ママと行く〜」と言い出したので、結局指名を受けた私が一緒に走る事になりました。
しかも土壇場で「肩車がいい」などとぬかし、私は20キロほどの5歳児を肩車して走りました。
会場に響く笑い声を背に受けながら。
最悪その②、「綱引き」。
私の中で綱引きは非常に簡単なルールの競技というイメージがあるのですが、長女はそのルールを理解していなかったのか、先頭で綱をブンブン揺らすという愚行に走っていました。
当然先生に即“撤収”されていました。
綱引きで負けて泣いている園児も複数名いたので、私は(一生懸命練習したんだろうな。それなのに長女がかき乱して申し訳なかったな)と思いました。
最悪その③、「バイクレース」。
これは地面に足が着く二輪のバイクを足でこぎ進めるレースだったのですが、これにはもう長女の名前すらありませんでした。
最悪その④、「玉入れ」。
あの玉入れです。
カゴにボールを入れ、入ったボールの数を競うというあの玉入れです。
それなのに長女はカゴの下でずっと突っ立っていました。
最悪その⑤、「閉会式前の体操」。
みんなと同じように参加はできましたが、独自のダンスを踊っていました。
(今書いてても泣けてくる)
ここひと月の間、保育園の連絡帳には長女が運動会の練習を頑張っている様子や、楽しみにしている様子が頻繁に書かれていました。
それもあって私としても運動会を非常に楽しみにしていて、「運動会の帰りにはファミレスにでも行って、チビ達の好きなスーパーにでも連れて行ってあげようか!」と夫とも話していました。
しかし当日は楽しいどころか恥ずかしいのと悲しいのとで、(なんで期待なんかしたんだろう、運動会になんかいかなければよかった)と激しく後悔しました。
そして、
(なんでみんなと一緒の事がみんなと同じようにできないんだろう?)
(やっぱ長女にはなにかしらの障害があるのかな??)
(この子は将来どうなってしまうんだろう???)
と思っては、私をそんなネガティブ地獄に陥れる長女の存在が憎らしくなりました。
でもそんな長女に対する気持ちを夫に吐き出すと、夫はたちまち不機嫌になり、「俺は恥ずかしいとか全然思わないわ。そんな風に思ってると今を楽しめないよ」とキツい口調でたしなめられました。
もちろん、夫の言っている事もわかります。
それでも私は、(じゃあ私のこの底なしの不安にはいったい誰が寄り添ってくれるんだよ。てか何キレてんだよ、バーカ!)と思ったりして、とても悲しくなりました。
親とはいえ人間であり、完璧ではありません。
親になったからといって精神面がとたんにレベルアップし、聖人君子になれるわけではありません。
なので「親は子供に対して無償の愛を捧げる」というのはどだい無理な話だと、私自身は実際に親になって痛感しています。
特に自分自身が子供の頃、親から条件付きの愛しか与えられなかった私としては、同じように条件付きでしかわが子を愛せないのかもしれません。
結局ファミレスでは夫婦共々無言のまま、ものすごく重たい空気の中昼食をとりました。
(子供達はマイペース)
長女がめんどくさいモードを発動すると、決まってこんな重苦しい雰囲気になってしまいます。
イベントを計画しても、外出を計画しても、必ず長女が“めんどくさいモード”を発動して楽しい雰囲気をぶち壊しては険悪なムードを作ってしまいます。
この時もまた、
(こんなはずじゃなかったのに。
「かけっこ頑張ったね」とか、「ダンス上手だったね」ってニコニコしながらご飯を食べるはずだったのに。
そうなると思ってご飯を食べに行こうって夫とも話していたのに。
なんでいつもいつもこんな事になるんだろう)
と思っては、せっかくのハンバーグを全く味わう事ができませんでした。
帰宅してお風呂に入ると、夫と子供達はすぐに寝てしまいました。
(時刻はまだ夕方)
私は夕飯を作った後で布団に寝転び、この先職場も新しくなってより精神的に負担がかかる事が目に見えているのに、こんなんで大丈夫だろうかと本気で不安になりました。
と同時に、毎日毎日長女に関する不安で押しつぶされそうなのに、これから先何を楽しみに生きていけばいいんだろうとも思ったりして、なんとも言えない虚無感に襲われました。
私は自分は割と精神的にタフな方だと思っていましたが、長女の発達に不安を抱くようになってからはこんな弱気な自問自答をする事が増えました。
保育園に行くと、周りの子供達はぐんぐん成長していって本当に眩しく見えます。
「子供の成長が何よりの楽しみです!」
そう胸を張って言える親御さんが心の底から羨ましいです。
何者でもない私、勝手に始めたtwitterを勝手にやめる
※今回はちょっとアホな内容になっています。アホに付き合いたくない方は回れ右をして下さい。
三国志にはたくさんの武将が出てきますが、歴史に名前を残した彼らよりも、私はきまって名もなき兵士や民衆の方に思いを馳せます。
なぜなら私はそっち側の人間だから。
中学生の頃、(あー戦国時代に生まれていたらなぁ。武功を立てて、絶対のしあがってやるのに)と根拠のない自信を持っていましたが、自分の能力が痛いほどわかってきた今思えば、仮にあの時代に生まれていたとしても、私は武将にはなれなかったでしょう。
おそらく一兵卒か貧農としてひっそりと生きて、ひっそりと死んでいったと思います。
(恐るべし中二病)
子供の頃、自分が40歳になるというのはだいぶ先の事だと思っていました。
そんな40歳がすぐそこに迫っている今、私は(これまで生きてきて、私はまだ何も成し得てないなぁ)と強く思うようになりました。
それと同時に若さという人生のボーナスをうまく使いこなせずここまできてしまった事もあって、もう何者にもなれないだろうという諦めと寂しさを痛感しています。
ちなみに何者かになるというのはテレビに出たいとか、歴史に名を残したいとかではありません。
どういう事かと言いますと、例えばブログや仕事、なんでも構わないのですが、自分で始めた事の中で何かひとつでも(ああこれでは思っていた結果を残せたな)というものが欲しいのです。
しかし今の私にはそれがありません。
何もできていないか、中途半端で鳴かず飛ばずといった感じです。
特にtwitterですが、twitterは例えるなら雑踏の中で声をあげることです。
声をあげたその人自身が著名人だったり、ツイートの内容が(おっ)と注目を集めるようなものでないと、当然ですが見向きもされません。
(スルーの嵐)
さらに言えば今の時代は「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」というのが重視される傾向にあるので、「詠み人知らず」の言葉が拾い上げられる事は稀だと言えます。
そんな事実は百も承知でしたが、いざtwitterをやってみてなんのレスポンスもなかったり、“いいね”が少なかったりすると、やはり虚しさと寂しさは否めません。
かつて私は、SNSに対してネガティブな印象があり、興味もありませんでした。
ところが去年の8月、某働きやすい企業に応募するにあたって、その企業で実際に働いている社員さんから情報を得る為にtwitterを始めました。
結果的に情報収集はうまくいかず、せっかく始めたtwitterでしたが用が無くなり、しばらく放置していました。
しかし「SNSの活用がブログ成功の鍵だ!!」というのを小耳に挟み、はてなブログにブログを移行する少し前から本格的にtwitterを再開しました。
ところが、です。
私と同じ時期にブログとtwitterを始めた人の中には、いつのまにかフォロワーを3000人まで伸ばしている人もいたりして、そしてそんな人は何かしらツイートすれば“いいね”を50とか100とかもらっていたりするのを見て、自分のツイートに“いいね”がひとつもつかない事もあった私は、その差に心が折れました。
そしてtwitterは自分には向いてないという事を改めて自覚し、楽しくないどころか精神的な負担になっていると感じたので、思い切ってやめる事にしました。
8月から働き始める会社はブログとtwitterが運んできてくれた縁だったので、やはり躊躇いもありました。
なのでこんな事を言いつつも、もしイーロン・マスクがtwitterを完全に買収して、何かしらの面白そうな機能がついたりしたら、その時はまた再開するかもしれません。
以上、どうでもいい報告でした。
経験で刷り込まれた不安
私の勤務するデイサービスには、現在3人の看護師が働いています。
1人は私と同じ機能訓練指導員の業務を主にしているTさん。
Tさんは60代前半で、ちょっとおっちょこちょいなところがありますが、何かあれば「私がしようか?」「私が行こうか?」とすぐに動いてくれるので、Tさんと勤務が一緒の日は非常に気が楽です。
もう1人はKさん。
Kさんは60代後半で、めちゃくちゃうるさい人です。
自分自身に何か問題が起こると、「ちょっと聞いてくれる?」と誰でも彼でも手当たり次第に言いふらし、周りを巻き込みます。
さらに「そろそろ薬出さないといけないよ?」とか「それの後はこれしてくれる?」と口は出しますが、自身がすすんで動くことはほとんどありません。
自分の業務に関して何かを注意されると腹を立て、まるで当てつけのようにその業務は丁寧にしますが、それ以外の事はすごく雑です。
例えばKさんが洗った食器には汚れが残っている事がしばしばあります。
そんなKさんですが、私を非常に気に入ってくれています。
私も単なる雑談をする程度なら別に何とも思わないのですが、正直一緒に働くとなればちょっとやりづらいなというのがこのKさんです。
最後はFさん。
Fさんは70代前半で、この人はもう論外です(笑)。
そもそも看護師かどうかもあやしいくらい仕事ができないくせに、どういう訳か自分が一番しっかりやっていると思い込んでいて、あろうことか他の職員のやる事なす事にまでいちいち小言を言ってきます。
(やめい!!)
具体的には4月、デイサービス利用者のコロナ感染が判明し、緊迫した時期がありました。
最初に感染が判明した利用者はすぐに入院となりましたが、有料老人ホームの入居者は毎日デイサービスを利用していた為、第2、第3の感染者が出てくる可能性は非常に高いだろうと予想されました。
そんな状況である入居者が、朝の検温時37度でした。
しかもこの入居者の普段の体温は35度台後半〜36度台前半だったので、ベトナム人実習生のTさんがすぐにFさんに報告しました。
他の職員が「すぐに居室に帰して隔離した方がいいのでは?」と提案したのですが、なんとFさんから返ってきた答えは、「37度?大丈夫よ。お風呂も入れていいから」でした。
看護師は医療従事者です。
その看護師が最終的にそう判断したとあれば、現場の職員はもう誰もこの決定を覆す事はできません。
(それが職場のルール)
そのためこの入居者はその日も予定通りデイサービスを利用し、入浴もしたのですが、夕方になって体調が悪化し、PCR検査の結果『陽性』でした。
これは誰もが予想できなかった事ではなく、むしろ誰もが予想できた展開でした。
なので現場で働く職員の間には、Fさんにはきちんと反省してもらって、今後は少し謙虚になってもらいたいという空気がものすごく漂いました。
しかしFさんは謙虚になるどころか、相も変わらず色んな職員に対して文句を言いまくっては周囲を不快にしています。
そんなアクの強すぎる看護師KさんとFさんですが、この2人、非常に仲が悪い(笑)。
人員配置の関係上看護師は1人勤務していればいいので、Tさんが入社して以来この2人の出勤が重なる事はなくなりました。
しかしFさんが休みの日はKさんからFさんの悪口を聞かされ、Kさんが休みの日はFさんからKさんの悪口を聞かされるという状態がずーーーーーーーーっと続いています。
そして最近また事件が起きました。
ある入居者の薬の管理について、KさんとFさんが注意を受けたのです。
(Tさんは機能訓練指導員なので薬の管理はしません)
Fさんは管理者に事情を説明し、管理者から言われた事に対して「わかりました」とだけ言って引き下がったそうです。
ところがKさんは「それは私がやったんじゃない!Fが悪い!Fの責任だ!!」と騒ぎ立て、なんとゴミまで漁って自分の正当性を裏付ける『証拠』の品を探し出しました。
(この労力を仕事に回して欲しい)
そして昨日、その『証拠』を管理者に見せて「信じるか信じないかはあなた次第だけど、こっちにはほら、証拠があります」と切り出し、再度「自分は悪くない、薬の管理をしっかりしていないのはFの方だ」という主張を繰り返しました。
それを聞いた管理者もここ数日に渡って「自分は悪くない」とKさんから食ってかかられた事がストレスだったのか、ついに「そんな事言われてもKさんとFさんの言い分が全然違うから私にはわからない!」と言ってブチ切れ、なんと大の大人がガチの言い合いを始めました。
しかもその言い合いを聞きつけた施設長が事務所の奥から出て来てこの口論に加わったので、それはそれは滅茶苦茶な泥仕合いとなりました。
(カオス!!)
私はそんな醜く不毛な喧嘩は大嫌いなので、運よく退勤時間を過ぎていた事もあり、さっさと打刻を済ませて帰宅しました。
このブログを読んで下さっている方はお分かりかと思いますが、私は今ブラック企業に勤めています。
しかしそんな状態は今に始まった訳ではなく、私は現在もこれまでも職場には本当に恵まれませんでした。
(それはもう家族や親しい友人も哀れむほどに酷く、お祓いをしてもらった事もあります)
そもそも労働条件や職場環境が“黒い”とかは当たり前で、全く筋の通らない、その職場の常識が世界の常識だと言わんばかりのところで、毎日理不尽な言い分やルールに晒されながら仕事をしてきました。
(とはいえ求人票にはキレイな事が書かれているので、入ってみないとわからない)
尊敬できる先輩や切磋琢磨できる同期というのも、私に関して言えば全く無縁の存在でした。
むしろ気に入らないという理由で同期の女の子2人から2年以上無視された事もありました。
そんなブラックな職場に身を置く度に、このままではいけないと思って転職も4回経験しましたが、結局場所を変えてもどこも同じようなものだと悟り、最終的には医療・介護業界で働き続ける事に希望を見出せなくなりました。
さらに理学療法士では今後収入が増える見込みがないという事実も相まって、一念発起してプログラミング学習を開始し、成長性や将来性の見込めるIT業界への転職を決意したという訳です。
しかし私は、自分は大学で熱意のある先生方のもとで高い専門教育を受けてきたという自負があり、少なからずそれを誇りに思っているので、もし環境に恵まれていたらこの先もずっと理学療法士を続けていたかもしれません。
とはいえ。
今となってはこれまでの事はもうどうだって構いません。
全部過ぎてしまった過去の事ですし、確かに若い頃は相当辛かったですが、今となってはネタだと思って開き直っているからです。
でも8月から働き始めるIT企業が同じように黒いところだったら、私はどうしたらいいでしょうか(泣)。
まだ起こってもいない事をあれこれ悩むのは不毛の極みですが、如何せん自分の人生を変えたいと思って死に物狂いで転職活動を続けてきた結果やっと手にした内定なので、それはもう心配で心配でたまりません。
3年後、「あの時頑張って転職してよかった」と笑っているのか、「結局何も変わらなかった」と落ち込むのか。
今からめちゃくちゃ怖いです。
なぜこんなに続く!?ブラック企業の“手当もらってるんだから問題”
※この記事は記録として書いています。なので多少専門的な内容になっています。
私の務めるデイサービスには3人の看護師がいます。
そのうちのひとりKさんに、一昨日こんな事を言われました。
「この間Mさんと面談がありました。『なんで勉強会やミーティングの時に時間外手当の話をもちだすの?手当はちゃんと出ているでしょう?』って。だから私、『どの手当の事ですか?』って言ったよ」
このMさんというのは前回副部長(社長の奥さん)とヒアリングを行なった役職付きの看護師です。
私はこれまでMさんと関わりが一切ありませんでしたが、彼女は事業所内の訪問看護部門のトップで、Kさんはデイサービスと訪問看護を兼務しているのでMさんとの接点があります。
「『管理者がまつかぜさんとKさんはすぐにお金の事を言うから困ってるって言ってたよ?』とも言われましたよ」
Kさんのこの言葉を聞いて私は本当に腹が立ちました。
私の職場は正社員とパートでその扱いに雲泥の差があります。
正社員は基本給に固定残業代や通勤手当など手当がたくさんつきますが、パートは基本給に特定処遇改善手当と処遇手当という国から支給されている加算金を手当として還元したものしかつきません。
例えばパート従業員の就業規則には『通勤手当は原則なし。ただし公共交通機関を利用する場合は通勤手当を支給』とありますが、バス通勤の私に通勤手当が支払われた事は一度もありません。
(なのに遠くの事業所の手伝いに行ってもらう事もあるとか言い出す始末)
めったにないのですが昨日はちょうどMさんに用事があったので、ついでに手当の事について聞いてみる事にしました。
するとMさんは「グループ内の事業所を回ってヒアリングをしたけど、ここはもう、人によって言ってる事が全然違う」と切り出しました。
「そもそも手当の前にさ、基本給上がってなかった?」
Mさんのこの言葉に全く身に覚えがなかった私は驚いて、「え?上がってないですよ?知りませんもん」と答えると、「嘘!」と言ってMさんも驚いていました。
我々の給与明細には基本給の欄に合計額のみ記載されており、時給がいくらなのかは契約書にのみ記載してあります。
しかし基本給が上がった事に関して、今のところ「おめでとうございます!時給アップしましたよ〜!!」という会社からの通達はおろか、説明も契約書の更新も一切ありません。
(ないのが普通ですかね?)
M:「手当もきちんと出ているはずです」
私:「確かに手当は出ています。しかしパートがいただいている処遇手当と特定処遇改善手当は残業代の原資に使うことは禁止されていますよね?」
M:「でも研修費に使うことは許されているはず」
Mさんは続けます。
「あなた方4人はさ、ヒアリングの時も事業所勉強会なんてなかったって言い切ったよね?でも管理者や施設長に聞いたらちゃんとやっているって言ったよ。管理者があなた方は時間外の研修やミーティングについてすぐお金を持ち出すから言えなかったって」
私:「待ってください。そもそも勉強会に出ている出ていないの前に、連絡がなければ知りようがないじゃないですか」
M:「でも無かったって言い切るのはおかしいでしょ。それにお金の事が不透明だからって研修やミーティングに出ないなんて、そんなのあり得ないから!」
…あの、ちょっといいですか?
この人が何を言ってるのかわかる人解説してください。
(私の常識の範囲を超えちゃってるから)
私はMさんに反論しようと思いましたが、他の職員もいたのでその場は大人しく引き下がりました。
しかし全然納得がいかなかったので、こうなったらと思い立って徹底的に調べる事にしました。
まず処遇改善手当を時間外手当として利用する事に関して、労基署に問い合わせました。
労基署の回答はこうでした。
- 処遇改善手当をどのように使うかは事業所の裁量による。ただしその使い道は就業規則や契約書に明記した上で従業員にも周知し、事業主が恣意的に利用してはならない。
- 仮に固定残業代として利用する場合でも必ず割増率を計算した上で足りない分はきちんと補填する事。
※ただ過去にこのような裁判があったみたいですが、その時はこんな判決が出たみたいです。
ではMさんが言ってたように研修費として使うことはどうなのか?
私は県の問い合わせ窓口に電話しました。
県の回答はこうでした。
- 処遇改善手当を得るために研修を受けたりする事を推奨はしているが、研修のために利用するというのは使い方としては適していない。
- 処遇改善手当はあくまで介護施設で働く職員の処遇を改善する事が目的なので、それをもらう以上は研修を受ける義務があるというような条件付きは、そもそも本来の処遇改善手当の主旨に反している。
ふむふむ。
あの…、訴えていいですか?
もうこれで会社だろうが施設長だろうが管理者だろうがMだろうが、全員の言ってる事が間違ってるって事が判明しました。
もうさ、賃金未払い(強制参加の合同研修の分の時間外手当。毎月1時間半!)とパワハラで訴えてやりたい。
ずっとずっとグチグチ言われまくってきた精神的苦痛の代償(慰謝料)として5億ベリーくらいふんだくりたいぜ!!!
(一応ベリーで濁しましたが)
私はこのやるせない気持ちを仲のいいパートさんにLINEでぶちまけました。
彼女の返信はこうでした。
「知らなかった私たち悪くないと思いますけど。
管理者達が勉強会あることを伝えてないことがまず問題ですよね。
その件を上に伝えたんですかね?
そして時間外の残業代のことを言われる職員の気持ちも伝えるのが大事じゃないですかね?
上の人たちがそんなふうに言っても聞かないからみたいな感じが1番良くないと思います」
ですよね。
まともな回答にホッとする。
なーんて事がブラック企業で働いているとよくあります。
退職まであと1ヶ月半。
期限が決まっているとはいえ、こんな時間がしばらく続くと思うと、本当に気が重いです。
悩める長女の就学問題
わが家は普段、テレビをほとんど見ません。
わが家の見たいもの(ニーズ)と最近のテレビの趣向が全く合致しないので、テレビをつける時はChromecastで繋いでYouTubeかPrime Videoを見ています。
最近『成田悠輔』という人物が話題だというのをたまたま見たYouTubeで知りました。
彼には様々な肩書きがあるのですが、一応2児の母である私は、彼の教育者としての一面に興味を持ち、ここ数日は林修氏との対談番組を皮切りに彼の出演しているチャンネルを見まくっていました。
そして思ったのは、やっぱり教育って普通の子供(定型発達児)である事が前提なんだなという事でした。
わが家の長女は発達障害グレーな5歳児です。
長女は3歳になるまで「ママ」や「ワンワン」といった意味のある単語を一切発する事なく、なんなら喃語と言いますか、「あー」とか「うー」といった音すら発さない状態で、まぁ何を考えているのかさっぱりわからない小宇宙のようなおこちゃまでした。
(3歳で保育園に行き始めてから言葉が出るようになりましたが、同年代のお子さんに比べると言葉のやり取りはまだまだ遅れています)
当時発語の前段階で重要と言われている指差しもなかったので、(よもや発達障害?)と思ったりする一方で、逆さバイバイやクレーン現象、偏食や目が合わない、癇癪が酷いという事はなかったので、(まさか知的障害?)と思ったりして、親としてはそれはそれは憂鬱かつ悶々とした日々を過ごしていました。
そのきっかけとなったのは発達検査の登竜門である一歳半検診で、これを機に長女の発達に関して我々夫婦の悩める日々が始まったのですが、ぶっちゃけて言うとこの時から私は子育てが全く楽しくありません。
(なぜなら不安しかないから)
(↑一歳半の頃の長女。この頃はとにかく不安が大きく毎日が憂鬱だったので写真も少ないです)
一応長女が2歳になってすぐ地元では評判のクリニック(発達外来)を受診したのですが、医師は娘の診察室での様子と、遠城寺式という発達検査と、M-CHATという自閉症のスクリーニング検査をしただけで、「中等度知的障害を伴う自閉症」という診断を下しました。
ただこの時M-CHATの検査方法がその使い方を遵守したものではなかったと後にわかったので、我々夫婦はすぐにセカンドオピニオンを考えました。
しかし非常にもどかしい事に、地元には発達外来を標榜しているクリニックがほとんどありません。
(田舎ゆえのディスアドバンテージ)
それならいっそ東京の有名な医師に診てもらおうと思ったのですが、それも新型コロナウイルスの出現により立ち消え、現在に至ります。
とにかく言葉でのやり取りが難しい長女は、小さい頃、例えば駐車場で急に走り出すなどといった危険な行為を制止する際には、大きな声を出すとか怖い顔をするといった原始的な方法でないと伝わりませんでした。
「飛び出したら危ないよ」と静かに注意して、泣き出したら目線の位置を合わせて「どうして泣いてるの?何が嫌だった?」と気持ちを聞くなんていう超高等手段が使えないので致し方ないのですが、側から見たらただの子供を怒鳴りつける怖い親でしかないわけで。
おまけにテレビやネット、専門書にヒントや救いを求めても、教育者や小児科医は口を揃えて「怒る育児に意味はない」、「子供は褒めて育てましょう」と説き、挙句子供を怒鳴る事が脳の発達に悪影響を及ぼすという研究結果まで提示する始末。
世間もそんな彼らの主張を引きも切らず拾い上げるため、私は親としての自信を完全になくしてしまいました。
(我々はそういう事が知りたいんじゃなくて、じゃあそうしないでいいような具体的かつ実践的な方法が知りたいのですが)
そしていつしか私は、私達夫婦の存在が長女を苦しめているのではないか、長女を怒る両親や怒られる長女を見て次女の心にまで悪影響を及ぼすのではなかろうか、いっそ長女は親元を離れ、施設や里親の元で育った方が幸せなのではないだろうか等々、色んな事を考えるようになりました。
もちろんどんな子供であっても親という立場であれば大なり小なり悩みは出てくると思います。
しかしそれが発達障害もしくは発達障害グレーの子供と定型発達の子供とでは、悩みの種類や程度は雲泥の差だと思います。
(余談ですがもうすぐ3歳になる次女は発育・発達共に一度たりとも悩んだ事はなく、今のところなんの心配もしていません)
発達障害という言葉が世間に広がり、認知はされてきたものの、理解が追いついているかといえばそんな事はないと思います。
むしろちょっと騒がしい子供がいたら「あの子発達障害じゃない?」と簡単にラベリングされるようになったような気がしますし、そうなってからの偏見は未だに根強いと感じています。
(長女が2歳の時に市の発達相談に行った際も、相手は医師ではなく心理士であったにも関わらず、「2歳で発語がないというのはそういう事(発達障害)ですから」という前提で話が進んでいきました)
特別な配慮が必要な発達障害の子供が定型発達の子供と全く同じような人生を歩めるかと言ったら、それは難しいかもしれません。
(それを目指す事を周りが制止するかどうかは別として)
でも発達障害の子供が定型発達の子供より劣っているかと言われたら、一概に「イエス」とは言えないはずです。
(私の愛してやまないトム・クルーズも7歳の時に学習障害と診断されています)
だからまずは障害のある子供達にもチャンスをくれよ、壁をつくらず同じ舞台に立たせてくれよと思うのですが、それは贅沢な事なのでしょうか?
「学校では絶対に紙と鉛筆で板書をしなくてはならない。なぜならそれが普通だから」でなく、録音してもいいし、タブレットを使ってもいいなど、その子の特性に合わせた方法で学ばせてあげてよと思うのですが、それも贅沢な事なのでしょうか?
ちょっとそこの偉い人、お願いだから障害のある子供が将来社会の中で肩身の狭い思いをする事なく、自分の得意な事を存分に伸ばしてのびのびと生きていけるような環境や教育を整備してくれよと思うのですが、それさえも贅沢な事なのでしょうか?
なぜ急にこんな事を言い出したのかといいますと、先日再来年の就学に向けて長女の通っている療育施設が主催した就学相談会に参加したからです。
(講師は教育委員会の方でした)
普通学級か通級か支援学級か、はたまた小規模特認校か…。
大事な大事な娘の大事な大事な人生の選択場面で激しく悩みまくる私。
悩んだ挙句東大を出てマサチューセッツ工科大学で博士号を取ってイェール大学の助教授である、まるで漫画のキャラのような天才成田悠輔氏の言葉にヒントを得ようと思ったわけですが、さすが天才。
彼の見ている景色は随分と高いところにありました。
そして冒頭の感想を抱くに至ったのですが、最近ではランドセルを見るのも嫌なくらい悩みの深みが増していっています。
そもそも義務教育というのは、子供が「学校に行きたい」という希望を出したら保護者がその希望を叶える義務があるという事だとか。
なら長女が「学校に行きたい」と言わなければ、私はこの義務を負わなくてもいいんですかね?
悩みすぎてそんな事まで考えてしまう今日この頃です。
はあ(ため息)。
なんか心躍るような楽しい事ないかなぁ〜(涙)。
私がおかしいの?まるでカサンドラ症候群
一昨日の朝礼での事。
施設長が「ちょっといいですか」と切り出しました。
「この前看護師とセラピストを対象に医療事業部のヒアリングがあったと思うのですが、その時にどうやら事業所ごとの勉強会をしていないという意見が出たそうです」
去る5/27、この日私は公休だったのにも関わらず、17時半からのデイミーティング、18時半からのヒアリングに出席しました。
※その時のいきさつはこちら
ヒアリングだなんて何を聞かれるんだろうかとみんなでビクビクしていましたが、実際はそんなに怯えるほどのものではなく、現在各事業所ごとに所属している医療職(看護師、セラピスト)を今後は医療事業部という部署の所属にまとめるという組織改革の報告と、現在の業務に関する聞き取りでした。
ヒアリングはこの度医療事業部の副部長になった社長の奥さんと役職の看護師によって行われ、対象は私と看護師3人の計4人でした。
その際、役職の看護師から「毎月の勉強会はどうなってるの?」と聞かれ、我々4人は口を揃えて「なんですかそれ?」と言いました。
聞けば事業所ごとの勉強会というのは会社が各事業所に課している義務で、年間計画を立て、必ず行わなければならない勉強会との事。
ところが我々4人はどんなに振り返ってもそんな勉強会があったという覚えがなく、みな「そんなものはなかったし、知らない」という認識で一致しました。
これに愕然とした副部長は「これについてはきちんと言っておきますね」と言い、おそらく施設長は副部長から“お叱り”を受け、一昨日の朝礼でその話題に触れたのだと思います。
施設長は続けます。
「今までしっかり勉強会はありました。私はきちんと半年間出席していました」
(半年って、あんたも施設長という立場でありながら1年の半分しか出てないんやんけ。てか勉強会なんてなかったのに、一体何に出席してたって言うの??)と心の中でツッコミを入れ、私は施設長の言い訳劇場に耳を傾けました。
「私出席して思ったんですが、一度も出ていない人がいますよね?手当をもらっているのに、それこそおかしいんじゃないですか?」
はい出たー。
私はこの「手当をもらっているんだから」発言が大嫌いです。
あまりにも手当手当と言われるので給与明細を確認したところ、私の給料は基本給+処遇手当+特定処遇改善手当で成り立っている事がわかりました。
うち処遇手当と特定処遇改善手当は介護職員の処遇改善の為に国が事業所に出している加算が手当となって還元されたもので、元をたどれば介護保険料と税金からまかなわれているお金です。
つまり会社が身銭を切って出している手当ではありません。
さらに言えばこれらの手当は介護職員の処遇改善以外に使う事は禁止されています。
基本給に各種手当も含まれているというのはさすがに無理がありますし、以上を踏まえると「手当をもらっている以上、時間外だろうが休日だろうがミーティングや勉強会に出席する義務があり、かつ時間外手当や休日手当を会社が改めて支払う必要はない」という会社側の主張は完全に的外れだという事がお分かりいただけると思います。
私はもうすぐ辞めますし、明らかに会社の言い分は正当性に欠けるとはいえ、「お金はもらってるくせにサボってる」みたいな言われ方をされるのは心外ですし、腹が立ちます。
百歩譲って会社が高い給料を出してくれているならまだしも、基本給だって最低水準でこれらの手当だって大した額ではないのに、なんでここまでグチグチガミガミ言われるのかわかりません。
私はこんな理不尽な環境が大嫌いです。
働く上で「嫌いな人がいる」、「仕事が大変だ」というのはどこの職場でもあるとは思いますが、これらは自分次第でなんとか解決できる事です。
(パワハラやいじめなど悪質なものは除きます)
ただ組織の常識が著しくひん曲がっているというのは、個人ではもうどうしようもありません。
もしまた「手当をもらってるんだから」と言われたら、今度こそ「どの手当の事ですか?」と聞いてみようと思います。
実はこの手当の件に限らず、これまであまりにも会社から色々と変な事を言われるので、私は事実確認のため労基署や自治体の相談窓口にメールで問い合わせをしました。
会社をどうにかしてやりたいというよりも(そこまで暇じゃない)、私の考えと会社の主張どちらが正しいのか専門家に意見を仰ぎ、裏づけをとることで、いざという時に反論できるように準備しておきたかったからです。
(メールだと証拠が残りますし、実際うちの会社は辞めた職員を訴えた事もあるらしいので自己防衛です)
ところがほとんど返事はなく、返ってきたものはと言えば調べればすぐにわかる程度の薄っぺらい内容に留まっており、なんら参考になりませんでした。
他県に住む私の友人(理学療法士)は私と同じく介護施設で働いているのですが、何年か前職員による通報で職場に労基署が入ったそうです。
それまではかなりブラックな職場だったらしいのですが、それを機にクリーンな職場に生まれ変わり、非常に働きやすくなった上に生産性も上がったそうです。
そんな経験をした友人が私の話を聞いて「争ったら君んとこの会社は絶対に負けるよ。でも会社もだけど自治体もダメだね。まるで別の国の話を聞いているようだ」と言っていました。
全くもってその通り。
会社からはめちゃくちゃな事を言われるだけ言われて、専門機関に助言を求めてもフルシカト。
困った末にツイッターで情報提供を求めるもレスポンスはありませんでした。
(この時ばかりはフォロワー◯千人とかいう人が羨ましいなと思いました)
どこに助けを求めればいいのかわからなくなった私は、完全にやさぐれ、大きな失望を味わいました。
そしてそんな非力な自分にできる事といえば、何を言われてもただひたすら耐え、退職までの残り2ヶ月を何ごともなく過ごせるよう祈る事だけだというのを悟りました。
残念ですが打つ手なし。
不本意ですが、巨悪の前に屈しました。