とりあえず、"SO WHAT?"

30代後半からエンジニア転職を目指すパート主婦が、転職活動や日々思った事を自由気ままに綴る雑記ブログ

20220328113618

弟の嫁さんの言葉に思った事

高齢者の女性

2022年1月22日。

私の誕生日の前日、じい様が亡くなりました。

入院はしていたものの非常に元気で、その日もちゃんと自分でご飯を食べていたそうです。

それがどういうわけか容態が急変し、母が病院から連絡を受けてから亡くなるまでたったの15分という急展開で、じい様は93年の人生に幕を下ろしました。

翌日。

1年は365日あるのに、よりによって自分の誕生日に祖父のお通夜に行くという巡り合わせに複雑な気持ちを抱えながら、私は夫に娘達を託し、弟夫婦の車で隣の市にあるじい様の家(母の実家)に向かいました。

その道中、弟の嫁さん(25歳)がたくさん話しかけてきてくれました。

当時第一子が生まれてまだひと月経ったくらいだったのですが、嫁さんは「この子が1歳になったら働こうと思っています」と言い、「でも無資格の私が今から働ける場所といったら、介護しかないですかね?」と聞いてきました。

私はしばらく考えて、まだ若いから色んな可能性があると思う、実際に働いている身として正直に言うと、介護業界はあまりお勧めできないと答えました。

 

さて。

私の職場にいるある利用者ですが(以下:A子)、このA子さん、それはそれは人使いが荒い!!!

難聴ですが目は見えていますし、認知面も日常生活や対人交流に大きな影響を及ぼすほどの低下は見られないので、おそらく性格だと思います。
(例えば往診の日などは「今日は先生が来る日だね」としっかり覚えています)

A子さんはとにかく自分中心で周りに配慮する事が一切できないので、他人の都合なんかお構いナシでバンバン用事を言いつけてきます。

おまけに「お茶!」、「洋服着せて!」、「トイレ!」と、まるで職員を召使いか何かと勘違いしているのかと思うほど、大きな声で怒鳴りつけるように言います。

召使いといえば。

かつて母はホームヘルパーとして働いていました。

ある時母が、自身も3人の娘も高学歴というお婆さんの自宅に行くと、散々自慢話を聞かされた挙句こう言われたそうです。

「でもあなたには学がなかったから、そんな仕事につくしかなかったんでしょう?かわいそうに」

 

ここで最初の話に戻りますが、私が介護業界を弟の嫁さんに勧めなかった主な理由は2つあります。

ひとつ目はやはり、「給料が安い」という事です。

介護職の給料はみなさんご存知かもしれませんが、めちゃくちゃ低く設定されています。

おまけに介護業界は深刻な人手不足という事もあり、私の職場のようにできるだけ安い給料で人を使い倒してやろうというブラックな職場も多いと聞くので、給料が低いというのは何も額面だけの問題ではないのです。

ふたつ目は「自尊心を保つのが困難」という事です。

時には利用者から暴言を吐かれたり、暴力をふるわれたり、母がされたように蔑んだ発言を受けたりと、心身共に傷つくような場面をたくさん経験します。
(私も何度殴られた事か)

当然下の世話も待っています。

時にはA子さんみたいな厄介な利用者にも対応しなくてはいけません。

こんな状況が続けば例えヨーダばりの精神年齢を兼ね備えていたとしても、地味にライフが削られていく事間違いなしです。

しかし何よりキツいのは、「介護職として働く以上、それって当たり前でしょ?」という暗黙の了解があるという事です。
(当たり前ってなんだよ)

どういう事かもう少し詳しく説明しますと、例えばA子さんみたいな利用者に一日中あーだこーだとこき使われるのは、いくら仕事とはいえキツいわけです。

でもそのキツさを若い職員が上司に訴えたところで「寂しいからじゃない?」と訳のわからない返答しか返ってこなかったり、例え暴言や暴力を振るわれても「相手は認知症なんだから我慢しなきゃ」でおしまいです。
(実際の話)

重労働な上安月給。

利用者からの暴言や暴力は日常茶飯事。

だけど職場は職員のストレスや負担には向き合おうとはせず、むしろ耐える事が美徳とすらされている。
(全ての施設がとは言いませんが、少なくとも私の職場ではそうです)

自尊心崩壊しませんか?

他者貢献といえば聞こえはいいですが、ここで求められているのは自己犠牲です。

相当な熱意と覚悟がないと、このような環境で長く働く事は難しいかもしれません。

 

運転しながら私と嫁さんの会話を聞いていた弟が、「でもなりたくてなりたいって人もいるからね。ほら、お友達の◯◯ちゃんとかそうでしょ?だから△△さんの言う事は真に受けなくていいよ」と横槍を入れてきました。
(△△は私の名前です。弟は私を名前で呼びます)

しかし「◯◯は仕事辞めたの。介護はキツくて体がもたないって。もう介護では働かないって言ってたよ」と嫁さんから一蹴されており、それを見た私は(ざまぁ)と本気で思いました。
(精神年齢はヨーダに遠く及ばない)

それにしてもまだ25歳なのに介護しかないですかねぇって…。

私が25歳の時は、自分はなんでもできるって思ってたけどなぁ。

ドラマのようなカタルシスは得られないけど

窓の外を眺める老女の後ろ姿

先日は私の現在の職場がどんな感じなのかを書きました。

実際はもっとずっと悪質ですが、具体的な事を書くと内部告発になってしまうのでやめました。
(本来なら社名を公表したいくらいですが)

従業員に対してはもちろん、利用者の状態悪化や死亡につながる事故など、記録や証人はきちんと存在するので、全てが明るみなればこの会社は“THE END”です。
(逆に言えばそんな事案がゴロゴロあるという事ですが)

以前ある利用者の往診に来ていた医者が、「そんな事をやっていたらいつか訴えられるぞ!!」と言っていました。

この言葉を発した当時、この医者はすでに会社と10年以上の付き合いがあったので、まんざら的外れな意見ではないと思います。

私個人としては是非そうなって欲しいのですが。

 

さて。

昨日は仕事でした。

退職に向けた引き継ぎの書類をパソコンで作っていると、管理者がやって来ました。

「27日にデイミーティングとヒアリングをしたいんだけど出れる?」との事。

27日は公休だったので、「あー休みですね。残念ですが出れません」と答えました。

「何か用事があるの?」と言われたので、まずあんたのその質問と態度が間違っている事を指摘してやろうと思って、「用事云々ではなく、公休だから来ないだけです。休日出勤の手当が出るなら来ますが、出ないなら来ません。私なんか変な事言ってますかね?」と言いました。
(ちなみに私は他人にはめちゃくちゃ腰が低いのですが、礼儀知らずな無礼者は例外です)

すると手当は出ないとの事。
(は?)

でもヒアリングをする部長(社長の嫁)の都合がこの日しかダメだからとブツブツ文句を言い始め、めちゃくちゃ食い下がってきました。

ねぇバカなの?

何言ってるの?

なんでそんな訳の分からない事が平気で言えちゃうの?
(頭の中ではAdoの『うっせぇわ』が高速リフレイン)

あまりにもうるさいので最終的に折れましたが「ありがとう」や「ごめんね」の一言はナシ。

むしろ手を煩わせやがって的な感じでめちゃくちゃイライラされました。
(イライラしたいのはこっちだよ!この人なんでそんな事もわかんないの?)

27日、17時半からデイミーティングで18時半からヒアリング。

休みなのに無給で出勤。

あー、バッカみたい。

 

さて(2回目)。

なぜ私がこんなクソみたいな職場の記事を書くのか?

それは訳のわからないルールでもって従業員の権利をガン無視するこの会社が本気で嫌いですし、社会悪だと思うからです。

この気持ちに加え、前回も書きましたが提供しているサービスが本当に粗悪すぎて利用者に対して申し訳ないという気持ちがあるのと、会社の運営に助成金として税金が投入されている以上、納税者という立場から物申す権利があると思っているからです。
(コロナの補助金では社用車とテーブルと椅子を買ったそうですよ)

こんな会社が介護業界に存在するという由々しき事態を是非多くの方々に知ってもらいたくて、こうしてブログで発信しています。

そしてあわよくば……。

あまりにも好き勝手にして多くの不幸な人を輩出してきたこの会社に対し、正義のメスが入る事を切に望んでいます。

私の職場

会社という人文字

胸に手を当てて聞いてみよう

あなたの働く会社は、おそらく何かしらのモノかサービスを売って利益を出していると思いますが、ここであなたに質問です。

あなたはあなたの会社が売っているモノかサービスに対して、客という立場でお金を出してもいいと思いますか?

例えば私の場合ですと、祖母や両親の通うデイサービスを探しているとして、うちの施設は候補にあがるか?という事です。

ちなみにですが、私の場合答えはNOです。

音速で。

いや、光速でNO。

大袈裟な話ではなく、私は利用者に対して申し訳ないという気持ちを抱えながら日々仕事をしているくらいですから。

ではどうせもうすぐお別れですし、今回はそんな私の職場について少し書こうと思います。

うちの事業所はこんな感じで回っています

入職してすぐ、私が現在の職場に対して抱いた印象は、向上心のない職員ばかりだなぁという事でした。

というのも、とりあえず時間が来たら利用者を迎えに行って、入浴や食事、おやつやレクリエーションといった日課をこなし、また時間が来たら送り届ければいいという感じだからです。

1日として同じ日はありませんが、少ない利用者を相手に同じ事をただ繰り返しているだけなので、手順はそんなに変わらないはずです。

それなのに毎回毎回職員は時間的にも気持ち的にも余裕がなくなり、しまいには不機嫌になって当たり散らす人も出る始末で、私としてはもう不思議で不思議でたまりません。

とはいえ。

これはこれでいいんですよ。

良くないとは思いますが、最悪ではないですから。

ただ利用者の体調に異変が起こったら、それはもう最悪です。

利用者はデイサービスや有料老人ホームだけでなく、ケアマネ、訪問看護、ヘルパーなど同事業所内の複数のサービスを併用している場合がほとんどです。

なので利用者が体調を崩すとすぐにそれぞれの部署から役職が出てきて騒ぎ出し、責任のなすり合いが始まります。

当然醜い争いをしたところで建設的な結論に至る事はないので、職員が闇雲にバタバタしている間に取り返しのつかない事になるというケースもたくさんありました。

利用者が亡くなるというのは最悪な結果である事は間違いないはずなのに、何より腹立たしいのはフィードバックを全くしない事です。
(デスカンファと言って思い出を語る事はします)

今回の反省点を次に活かそうという姿勢は一切なく、本当に何事もなかったかのように「これにて一件落着」となります。

私としてはどうしてそれで平気なのか強烈に不思議だったのですが、ある時その理由に気付きました。

それは私の職場では、『ここはあくまで家である』、『医療の事はわからない』、『医療と介護は違う』という考え方がもの凄く根強く浸透しているのです。

つまり、

利用者が体調を崩す→なかなかその変化に気付かない→大変な事になってようやく主治医に連絡する→結果的に亡くなる→自分達はあくまで介護職であり、介護職としての役割はきちんとこなしたから問題ない→はい、終わり

という思考で職員は仕事をしているのです。

私はこの考え方には理解も共感も一切できません。

だって医療の事を知らないくせに、介護と医療は違うなんてどうして言えるのでしょうか?

それに高齢者はたくさんの病気を抱えている場合がほとんどなので、高齢者の介護は常に医療と共にあるべきだと思います。

それにも関わらず私の職場では医療の知識がほとんどない職員が多いためか、過去には職員のミスで重大な事故につながったケースも複数あります。

それなのになぜ反省をせず、学ぼうともせず、この期に及んでまだこんな訳の分からない事を堂々と言っているのか、心の底から理解に苦しみます。

職員はこんな感じですし、施設は古く、浴室はレジオネラ菌が検出された事もあるほど不衛生です。

おまけに食事はご飯と味噌汁以外は冷凍で、準備段階ですっかり冷めてしまったものが出されます。

ここでもう一度問いたいのですが、あなたは大切な家族をこんな施設に任せられますか?

光速でNOと言いたくなる気持ちもわかっていただけると思います。

職員のモチベーションが下がる仕組みがこれでもかというほど散りばめられている

私の職場の給与水準は最低レベルです。

私は理学療法士で一応国家資格を持っていますが、近所にあるケン◯ッキーのバイトの時給より安い時給で働いています。

ただ最初から期間限定のつもりで応募したので時給に関しては別にそれで構わないのですが、高い給料を出しているわけでもないのに二言目には「それを見越しての時給ですから」と言って、1人の職員に複数の仕事を押し付ける事には本気で頭にきます。

私も訓練や記録、書類作成という本来の仕事に加え、オムツ交換、入浴補助、食事介助、居室清掃などをさせられていた時期があって、それはもう目が回る忙しさでした。

1番ふざけんなよと思うのは、経営陣が職員を下に見ている事で、それが役職にも浸透している事です。
(例えるなら社長は藩主、役職は上士、その他の職員は下士というほど、明確かつ厳しい“身分制度”があります)

例えば伝達事項がある時は「会社の命令です」や、「会社が決めた事です」とだけ言われ、説明等は一切ありません。
(この命令という言葉が私は超ーー絶不愉快でたまりません)

決定的だったのは施設長との面談である男性職員が「一度にたくさんの事を言われても困るので、少しずつ話を進めて欲しい」とお願いしたところ、「上に立つ私が部下のあなたの指示を聞く必要はない!」と一蹴された事です。

能力云々ではなくてとにかく社長のお気に入りだけが出世するので、役職ともなれば給与がいっきに高くなります。

だから役職は波風を立てないようになんとしてでも下を従わせようとするので、退職もすんなりはできません。
(私も1年以上かかりました)

ボーナスの際は役職から順に社長にお礼の電話をしたり、何か問題を起こしたら始末書と社長宛の誓約書を書かされます。
(問題というのは会社にとって問題のある事であり、世間で言う不祥事の類ではありません)

なんの資格も実績もない社長の娘(20代前半)が役職についたり、通勤手当は出さないくせに会社の命令が出たら遠くの事業所に手伝いに行って欲しいと言い出したり、もう節操がありません。

そんな泣く子も黙る真っ黒な私の職場ですが、今度は給与振込先をこれまでの地元最大手の銀行から他県の銀行に変えるので、夏までに口座開設をするようにと言い出しました。

またこれに合わせて少しずつ人員整理が始まりました。

皆さん、これがどういう事かわかりますよね(笑)?

私はあと少しでこの会社とは縁が切れますが、これからの動向が非常に楽しみになってきました。

なーんて余裕こいて言ってますが、もし次の会社もまたブラックだったらどうしよう。

そうでない事を祈りつつ、今回はこれで失礼します。

メンタルヘルスこそ一番大事だと思う-後編-

開き直る女性

※前回の記事はこちら

bisbow.net

大学卒業後から現在

しかし大学を卒業して仕事を始め、自由に使える時間やお金ができてくると、少しずつ心の健康を取り戻しました。

食べ物は美味しく、漫画を描く時間もあるし、気軽に遊べる同期もできました。

あの地獄の4年間はなんだったんだろうと思ってしまうほど、私は人生の舵を大きく切り直し、新たな生活を楽しんでいました。

そして私はある事に気づきました。

それは『私は色んな事を真正面から受け取ってしまうため、理不尽な環境に長くさらされると強いストレスを感じる。そしてその後ヤバいくらい無気力になる』という、自分自身の心の地雷でした。

もちろん生きていれば(それおかしくね?)と思ってしまうような状況になんかたくさん出くわします。

それでも私はこの心の地雷を自覚した事で、例えそのような状況に陥ったとしてもうまくいなせるようになりました。

社会人になってからは大学生の頃のようにどん底まで落ち込む事はなく、長らくそれでうまくやってきたのですが、さすがに今回の転職活動中はこの世とおさらばしてしまおうかと本気で思ってしまうほど追い詰められました。

転職するにあたって足を引っ張っていたのは間違いなく年齢で、このブログでも散々書きましたが、私の年齢に対する塩対応ぶりは酷いものでした。

でもどう頑張っても今更若くはなれないので、こればかりはどうしようもありません。

もし転職活動を続けるのであればこの厳しい現実を飲み込んだ上で進まなければなりませんし、例えやめて一時的に楽になったとしても後々絶対に後悔する事が目に見えています。

つまりどちらを選んでも茨の道といった状況だったので、私は悩んでも悩んでも答えが出せず、追い詰められるところまで追い詰められてしまいました。

でも生存本能なのか、そんな時私は決まってある話を思い出してしまうのです。

今は絶望的だったとしても、未来がどうなるかはわからない

それはかつて私がハマっていた新撰組の勘定方、河合耆三郎さんのお話です。
(余談ですが、『ハマっていた』は『新撰組』にかかります)

河合さんは裕福な問屋さんの息子で、新撰組の勘定方(経理)をしていました。

ある日、隊のお金(めちゃくちゃ大金)がなくなっている事に気づき、慌てて実家に穴埋め分を用立てて欲しいと連絡します。

ところがお金が足りない事が鬼の副長こと土方さんにバレてしまい、切腹を言い渡されてしまいます。

そこで河合さんは「実家からの使いがお金を持って来ます!だからもう少しだけ待って下さい!」と嘆願し、お金が戻れば何の問題もないので土方さんもこれを了承します。

ところが10日経ってもお金は届かず、哀れな河合さんは隊規違反で切腹して亡くなりました。

ところが。

その3日後、なんと河合さんの実家からお金が届きました。

このエピソードを小説で読んだ私は、(あれ?耆三郎さん死ななくてよかったんじゃね?)と思い、ザワつきました。

そして私は学びました。

仮に今が絶望的な状況であっても未来がどうなるかは絶対にわからないので、決して早合点してはいけないという事を。

この教訓(?)のおかげか、私は転職活動で落ち込み、心では(もうダメだ。色々疲れた)と思っても、頭では(でももしかしたら明日運命的な求人に出逢うかもしれない)と考えたりして、希望を捨てる事はありませんでした。

いいところで開き直ってみる

もし理不尽で納得のいかない事にぶち当たったら、もちろん相当悩むでしょうが、キリのいいところで開き直ってみるのもアリだと思います。

なぜなら今更言うまでもありませんが世の中には理不尽な事なんてたくさんありますし、例えそれらに真っ向から立ち向かっても、自分の力が及ぶ範囲なんてだかが知れているからです。

でもそれに気づかず、(なんでうまくいかないんだろう)という思いに囚われすぎていると、それはもう相当なストレスになります。

行き過ぎたストレスは当然良くないので、どこかでうまく切り替える柔軟さを持っていないと、精神衛生上良くありません。

自分自身で人生を切り拓く力ももちろん大切ですが、一方で前向きな妥協点を持っておく事も必要ではないでしょうか。

ちなみにですが、私はもし内定をもらえなかったら、とりあえず菅原道真ばりに世の中を恨みまくった後、アルバイトでもパートでもいいから好きな業界に転職して、ブログに漫画を載せて副収入を得ようと考えていました。

無謀(笑)。

でも未来の事なんて誰にもわかりませんから、もしかしたらここにきてかつての『超売れっ子漫画家になる』という夢が実現しちゃうかもしれませんよ。

ジャスティン・ビーバーtwitterでシェアした事でピコ太郎が世界的に有名になったように、どこにチャンスが転がっているかわかりません(笑)。

 

最後に上島さんのご冥福をお祈りしつつ、今回はこれでおしまいにします。

メンタルヘルスこそ一番大事だと思う-前編-

落ち込む女性

上島竜兵さんの死を知る

その日、私は仕事に来ていました。

男性職員が何か調べ物をしなくてはいけないとかで、パソコンを開いてネットに繋げました。

検索エンジンのトップページが現れ、近くに立っていた私の目に飛び込んできたのは、笑いを連想する単語と全く笑えない単語のコントラストでした。

「ちょっと待って!『上島竜兵さん死去』って、なんなのこれ!?」

衝撃の事実に驚いた私が男性職員に詰め寄ると、「え?知らないんですか?」と彼の方こそ驚いたといった様子でそう言い返されました。

わが家はテレビをつけると、ただでさえカメペースの娘達がナマケモノペースにスローダウンするので、極力テレビはつけません。

スマホYahoo!ニュースの速報が画面に表示される設定をしているのですが、なぜかこの超ビッグニュースに関する通知はありませんでした。

なので私は上島竜兵さんが亡くなった事をこの時初めて知ったのです。

分かり易く動揺する私。

その様子を近くで見ていた看護師さんが言いました。

「自殺だって」

本当に信じられませんでした。

小さい頃から知っていた面白いおじさんが、誰もが予想だにしなかった形で突然死んでしまったのですから。

かつて私がよく見ていたお笑い番組には上島さんがよく出ていて、お馴染みのギャグでたくさん笑いをとっていました。

間違いなく大好きな芸人さんの1人でした。

それがどうしてこんな事に…。

色々と複雑な思いが入り混じり、この日は一日中上島さんの死が頭から離れませんでした。

大学生の頃の私

私は浪人の頃と大学生の頃、精神的にかなり落ち込んでいました。

今考えると軽い鬱状態だったのかもしれません。

それでも浪人の頃は漫画という楽しみと、『超売れっ子漫画家になる』という夢に支えられていたのでまだ良かったのですが、大学4年間は最悪でした。

原因の一部を挙げてみると、

 

①地元を離れてホームシックになった。

方言も風習も全く変わってしまうほど離れた土地だったので、なかなか馴染めませんでした。

②2浪した事でなかなか友達ができず、かつそれを『年下の先輩』からあからさまにバカにされた事もあった。

新歓の席で自己紹介をした際に、「俺らは現役だから〜!」とわざわざ言われた事を皮切りに、それはもう色んな事がありました。

私の方も煩わしくなって心を閉ざしてしまい、独りで行動する事が多くなりました。

③「夢のキャンパスライフ!大学生になったら思いっきり漫画を描こう!」と思っていたものの、毎日講義がビッシリで、かつ必修科目ばかりだった。

1限目:英語(必修)→2限目:内科学(必修)→3・4限目:生理学(必修)→5限目:第2言語(選択)→6限目:理学療法学概論(必修)みたいなカリキュラムばっかりで、なかなか気を抜けないわけです。

しかもすぐに試験期間がやってくるので、ぼんやりしていると平気で単位を落としてしまいます。

2年生になるとさらにこれに実習が加わるので、とにかくキツかったです。

④大学の授業料と家賃のみ親が負担してくれたが、生活費と実習積立金は奨学金とバイト代でなんとかしなければならなかった。

奨学金は月3万円(有利子)しか借りれませんでした。

おまけに実習積立金は月1万円でしたので、残り2万円ではどうやりくりしても生きていけません。

なので試験期間以外はとにかくバイトをしていました。

ただ幸運な事にこの時代にしては時給が非常に良かったので、バイト漬けの毎日というわけでもありませんでした。
(実習積立金とは、クラスメイト全員から毎月徴収した1万円をプールし、実習の際にかかったウィークリーマンション代や交通費に使う為の積立金です)

 

以上をまとめると、大学生の頃の私は『知り合いも友達もいない見知らぬ土地で貧乏な生活を送りつつ、やりたい事を我慢して勉強せざるを得ないという現実にかなり強い憂いを感じ、精神的な不調をきたしていた』という事になります。
(大学生活の後半は少し良くなりますが、前半は本当にヤバかったです)

当然こんな生活が楽しいわけがなく、やがてなんに対しても意欲が湧かなくなり、最悪な事にあんなに好きで好きでたまらなかった漫画に対する情熱も冷めていきました。

そして世界は灰色、他人は私を傷つける有害物、何かを口にしても全て砂を噛むような感じといった具合に、まさに生きる屍を地でいくような日々を送っていました。

運。

なんて事だと言う女性

プロローグ

以前、東京都内の某ホテルでひらかれたある俳優さんのトークショーに行った時のこと。

参加者は全員女性で、定員は確か100名ほどだったと思います。

ほんの少し駆け寄っていけば実際に触れられる距離で見るその俳優さんは、今まで様々な媒体を通して見てきた彼と違うことなく美しく、実物もとても魅力的でした。

トークショーの最後に、「会場の中から抽選で5名の方に、ちょっとした特典があります」というアナウンスが流れました。

その特典というのは確か、その俳優さんとのツーショット写真撮影だったと思います。

参加者の座席には1から通し番号がふってあり、大きな箱を手にした司会者が言いました。

「この箱の中には番号を書いた紙が入っています。この中から◯◯さん(俳優さん)に紙を5枚選んでもらい、そこに書かれていた数字と同じ番号の座席に座っていた方が当選になります」

言われた通り俳優さんは箱の中から紙を5枚選び取り、司会者に渡しました。

司会者は折りたたんであった紙を開いて番号を確認し、「では、小さい番号から読みあげていきます。最初の番号は◯番です!!」と言いました。

自分の番号を読み上げられた女性はスッと立ち上がり、司会者に促されて舞台に上がると、俳優さんと並んで立ちました。

彼女はおそらく一般の方だと思いますが、とてもキレイな方で、何より印象的だったのはめちゃくちゃ堂々としていました。

司会者から、「おめでとうございます!」と言ってマイクを向けられると、彼女は「ありがとうございます!」と満面の笑みで答えました。

そして「当選した今のお気持ちを聞かせてください」と言われ、こう言いました。

「普段から運がいいので、当たると思っていました!」

漫画持ち込み体験から得た、「私は運がないなぁ」という実感

私は子供の頃から『超売れっ子漫画家になる』という夢を持っていて、何回か投稿をした事もありましたが、どれも結果に結びつく事はありませんでした。

そこで26歳の時、スキルを上げようと漫画家養成スクールに通う事を決め、実際にその年の10月から半年間通っていました。

最初は地元で探したのですがさすが超ど田舎!

そんなカルチャーなスクールなど存在せず、結局申し込んだのは高速バスで3時間ほどかかる他県のスクールでした。

ただ授業は日曜日だけでしたし、この時は「とにかく腕を磨きたい!」、「漫画家を目指す人と交流したい!」と思っていたので、思い切って都会に出る事にしました。

スクールは非常に学びが多く、講師も他の受講生もみんないい人ばかりでかなり充実した時間を過ごす事ができました。

しかし。

このスクールの最終課題というのが、『漫画を1本仕上げて、出版社に持ち込みにいく』というガチなやつでした。

私は仲良くなった3歳年下の女の子(通称:ハタやん)と一緒に東京に行く約束をしたのですが、ハタやんは少年漫画で勝負すると言いました。

私も少年漫画が大好きでしたが、壮大なストーリー展開や戦闘シーンを短い期間で描き切る自信が無かったので、少女漫画を描く事にしました。

雑誌を決め、震える手で超有名出版社2社に電話をし、3月の中旬に持ち込みの約束をとりつけました。

そして徹夜を重ねて原稿を仕上げ、満を持してハタやんと東京入りを果たしたのです。

不運な引き寄せ

東京滞在期間は3日間で、1日目にK社、2日目にH社、3日目は東京観光というスケジュールを組んでいました。
(ハタやんの作品は少年漫画なので、1日目と2日目は別行動でした)

約束の時間に間に合うようにK社に行き、受付を済ませるとそのまま雑誌の編集部に通されました。

編集部に着くと「担当者が参りますのでしばらくここでお待ちください」と言われ、私は言われるままそこに立って待っていました。

私が立っていた位置からは中の様子が丸見えだったのですが、数人ほどいる編集者の中に1人、足を組みながら気だるそうに携帯をいじっている30代くらいの女性がいました。

なんとな〜くですがそのオーラというか雰囲気を目の当たりにして、(あの人だけは勘弁して欲しいな)と思ったのですが、「じゃあ行きましょうか」と声をかけてきたのはその女性でした。
(嫌な予感ほど当たるというか、こういうのよくありません?)

女性はホールのような広い場所に私を案内しました。

そこにはテーブルと椅子が数組あり、私は女性に言われるがままそこにあった椅子に座りました。

「じゃあ、見せてもらっていいですか?」

座るやいなや早速本題を切り出してきた女性に一瞬ひるんだものの、「よろしくお願いします」と言って私は恐る恐る原稿を差し出しました。

女性は慣れた手つきで原稿に目を通し始めたのですが、次第に表情が曇っていきました。

そして原稿を読み終えた後「じゃあさ、ちょっと聞いていい?」と言って、ぶっきらぼうな口調でいくつか質問をしてきました。

質問の中には作品の批評からズレているものも多くてかなり戸惑ったのですが、私は慎重に言葉を選んで回答しました。

質問の後少し雑談をしたのですが、この時女性は自分がなぜ編集者になろうと思ったのか、男性に揉まれながら働く事がいかにキツいかについて力強く語り始めました。

そして「もちろん言わないよ?言わないけどね、私は人から見下ろされるのがムカついてたまらないのよね。だからこの身長が本当に嫌なの!!あと10センチ身長が欲しかった!」と言い出しました。

この言葉を聞いて、私はなぜ私の原稿に目を通した女性が急に不機嫌になったのか、少しだけピンときました。

というのもこの時私が持ち込んだ作品の主人公が、『背が高い事をコンプレックスに思っている女子高生』だったからです。
(はい詰んだ〜)

この奇跡的かつ致命的な展開に動揺したのは事実ですが、とはいえここは泣く子も黙る天下のK社。

(仮に私の作品が駄作中の駄作であるならまだしも、向こうもプロなんだし、そんな私情で作品の良し悪しを図るはずはないはず)

そう思って引き続き彼女の言葉に耳を傾けていたのですが、女性は「私はね、顔とかスタイルとかはどうでもいいの!とにかく身長が高い事が1番だと思ってる!!」とまで言い切り、ヒートアップしていく一方でした。
(女性は確かに背は小さかったですが、美人でスタイルもよかったです)

そんなこんなであっという間に時間が来てしまい、私の初めての持ち込みはたくさんのモヤモヤを残したまま終了しました。

翌日。

気を取り直せないまま私はH社に行きました。

この時話を聞いて下さった編集者さんは若い男性で、非常に丁寧に応対してくれました。

彼は私の原稿を何度も何度も読み返し、「ストーリーは主人公の心理描写をもっと緻密に描いて、読者の感情移入を誘うようにしたいですね。絵は線がすごくキレイで、人物も背景もきちんと描かれていると思います。東京に来て3年ほどアシスタントをしながら投稿を続けていけば、デビューにつながるチャンスはあるかもしれません」と的確かつ前向きなアドバイスをくれました。

ただ持ち込みの最大の成果は『編集者の名刺をもらう事』なのですが、残念ながら私はその最大の成果をあげる事ができなかったのでかなり落ち込みました。
(ちなみにハタやんは2枚ほど名刺をもらっていました)

後日談

東京から帰り、後日改めてハタやんと一緒にスクールまで出向き、持ち込みの結果を講師に報告しました。

そこで私の話を聞いた講師はこう言いました。

「この原稿を見せられて何も言わないのは、そのK社の編集者はきちんと仕事をしてないなって思った。H社は厳しいという噂だから初回で名刺をもらえないのは仕方ないにしても、そんな前向きな言葉をもらえてすごいと思うけどなぁ」
(ちなみに講師は超有名少年雑誌で連載経験のある漫画家です)

ハタやんも「私もそう思いました!」としきりに言っていましたが、気持ちが腐り切っていた私は、自分には才能がないからだとただただ自分をおとしめる事しかできませんでした。

そしてこの持ち込みを経て(漫画に関してはやれる事はやった。やり切ったから悔いはない)という納得のもと、私は『超売れっ子漫画家になる』という長年の夢に別れを告げました。

しかし。

if(もし)はいつだってただの後付けでしかありませんが、もしK社とH社の日程が逆だったら。

もしK社で違う編集者に話を聞いてもらっていたら。

それはそれで結果は違ったかもしれませんし、私の『今』もまた違ったかもしれません。

そう考えると今でもこの経験は、(私ってやっぱ運と縁に恵まれないよなぁ)と感じずにはいられない、そんなほろ苦いエピソードです。

おーしまい!

このブログについて

円マークの形をした雲を眺める

内定を頂き、GW直前に内定後の面談がありました。

それから長い連休へと突入した訳ですが、我々家族はというと、平日と土曜日は娘達は保育園、私と夫は仕事に行き、日・祝日は娘達の接待に明け暮れるという、そんな日々を過ごしていました。
(接待=公園巡りです)

「結果を出したらきちんと給料に反映される」と面談で聞かされたので、今から(絶対に結果を出してやる!!)と意気込みまくり、実際に働き始めるまでの猶予期間を有効に使って勉強しようと思っているのですが、それもかなわず…。

なんとか時間を見つけてYouTubeで勉強していますが、今勉強しているのは「投資」と「英語」です。

英語はいずれイーロン・マスクキアヌ・リーブスに会った時に必要になりますし(←夢)、投資は以前からめちゃくちゃ興味がありました。
金利0.03%とかタンス預金と一緒ですやん)

というのは建前で、本音を言うと何をやっていいのかわからないんですよね。(←あーあ、言っちゃった)

まぁこんな感じで内定という奇跡を手にした後も迷走を繰り広げている私ですが、これからもよろしくお願いします。

それでは本題にいきましょう!

「はたらけど はたらけど…」啄木さん、わが家も同じです!!

このブログでも散々書きまくっていますが、わが家は低所得です。

一応夫婦共々大卒で有資格者、かつ贅沢な趣味嗜好などは持ち合わせていないのですが、びっくりするほどお金とは縁がなく、日々やってくる目の前の生活をこなすだけで精一杯です。
(ここでは『大卒=高所得』という事を言いたい訳ではなく、学生時代は嫌々ながらも一応勉強を頑張ってきましたという事実をお伝えしたくて書きました)

ではどれくらい低所得かというと、私が妊娠・出産のため仕事ができず、夫の収入だけで生活をしていた時期がありました。

子供も生まれたという事で新たに保険に入ろうとしたのですが、その時担当した保険外交員がわが家の家計を見て思わず「よくこれで生活ができますね」と言っちゃうくらいのレベルです。
(失礼な奴だなぁとは思いましたが、事実は事実なのでね(涙)。悔しいけど言い返せないという…)

ただ夫は非常に勉強熱心な医療従事者で、もし自分や自分の家族が彼の受け持ち患者になったら間違いなく『アタリ』だと思えるほど、仕事に対しては熱心ですし、真摯に取り組んでいます。

夫がコロナで長らく休んでいると「◯◯(夫)さんの担当患者さんの△△さんが長く◯◯さんに会えなくて元気をなくしている。だから△△さんを元気づけるようなメッセージを送って欲しい」とわざわざ職場から連絡が来るほど、患者さんからも好かれています。

問題なのは、頑張りや貢献度が給料にま〜ったく反映されない事なのよねーーーーー。
ねーーーーー。

ねーーーーー。(←エコー)

 

さて。

前置きが長くなりましたが、いかんせんわが家がこういう感じなので、私は『年収1,000万』とか、『総資産5,000万円』とか、『毎月20万貯金(積立投資)しています』とかいう人が信じられなくて、かつめちゃくちゃ羨ましいと思っていました。
Twitterをやってるとそんな方をたくさんお見かけしますが、そんなセレブリティ〜な方々と私とでは住む世界が違いますので、コミュニティに参加する(フォローする)事はありません)

給付金問題で『年収960万円未満』という所得制限が設けられ、「税金は皆負担しているのに、何なら高所得者の方が多く負担しているのに、そんな制限を作るのはおかしいじゃないか!」といって問題になった時も、私としては(年収960万だってーーーーーーー!!!超金持ちじゃねーーーーか!!!)と、そっちのインパクトの方が強かった事を覚えています。
(そして羨ましくて悔しくて惨めで泣くという…)

しかし泣いてばっかりでは、羨んでばっかりでは何も変わりません。

転職活動だって収入を増やしたい一心で頑張っていた訳ですが、転職以外にも何とかして入ってくるお金を増やす方法はないだろうかと必死に考えました。

そして考えついた結論が『ブログ』でした。

とはいえ、です

もちろんブログを始めたからといって、簡単に稼げるとは思っていません。

おまけに収益を目的としたブログを始めるとなると、必ずと言っていいほど問題になるのが、『有益な情報を発信できているか』、『読者に価値提供をできているか』という事です。

例えば『再現性の高い投資スキルを持っている』とか、『料理がめちゃくちゃ得意で、誰でも簡単に作れるレシピをたくさん知っている』とか、『職業を通して何か専門的な知識やスキルを得た』とかがそれにあたると思うのですが、そんなもの私には何一つありません。

なので私は完全に開き直り、このブログをそんな優良コンテンツではなく、『これはあくまで読み物である』という位置付けにしました。

その目的はただただ「発信」です。

つまりブログを書き、それを発信する事で日本のど田舎にこんな人間が住んでいるという事を知ってもらい、そんな私を面白いと思って下さった方々と繋がっていく事を目的にしようと考えました。

なぜそんな事をするのかというと、なんとな〜くですが長くブログを続けていけば、そのうち「あなたの文章が気に入ったのでこんな記事を書いて欲しい」とか、「漫画家を目指していたらしいですが、どんなイラストが描けますか?こんなイラストは描けますか?」といった仕事へと結びつく話が舞い込んでくるのではないか?と考えたのです。
(甘い?)

そして私の場合、そっちの方がPVを増やしてアフィリエイトAdSenseで収益を上げていくというスタイルよりも合っている気がしましたし、むしろ私のブログではこの方法でしか『収益』を得る道はないと考えました。

以前9浪して早稲田大学に入学したという方の記事を読んだ事があったのですが、この方も最後の『YouTubeTwitterで発信してきた理由』で述べている通り、YouTubeTwitterはたくさんの恩恵をもたらしてくれると私は考えています。

そのひとつが新たな繋がりを開拓する事だと思っていますし、昔から『縁』や『運』になかなか恵まれてこなかった私としては、そこに大きな価値を見出しました。

news.careerconnection.jp

なのでこれからこのブログを読む時は、「これは物好きの、物好きによる、物好きの為の読み物なんだ」というユル〜い気持ちを持って、面白おかしく、時にほんの少しだけ真面目な気持ちで読んでいただけたらと思います。

とは言っても、ですよ?

まさかこのブログがきっかけで転職が成功するとは思ってもいなかったので、言ってる私自身が1番ビックリしています。
(まだ信じられません)