メンタルヘルスこそ一番大事だと思う-前編-
上島竜兵さんの死を知る
その日、私は仕事に来ていました。
男性職員が何か調べ物をしなくてはいけないとかで、パソコンを開いてネットに繋げました。
某検索エンジンのトップページが現れ、近くに立っていた私の目に飛び込んできたのは、笑いを連想する単語と全く笑えない単語のコントラストでした。
「ちょっと待って!『上島竜兵さん死去』って、なんなのこれ!?」
衝撃の事実に驚いた私が男性職員に詰め寄ると、「え?知らないんですか?」と彼の方こそ驚いたといった様子でそう言い返されました。
わが家はテレビをつけると、ただでさえカメペースの娘達がナマケモノペースにスローダウンするので、極力テレビはつけません。
スマホもYahoo!ニュースの速報が画面に表示される設定をしているのですが、なぜかこの超ビッグニュースに関する通知はありませんでした。
なので私は上島竜兵さんが亡くなった事をこの時初めて知ったのです。
分かり易く動揺する私。
その様子を近くで見ていた看護師さんが言いました。
「自殺だって」
本当に信じられませんでした。
小さい頃から知っていた面白いおじさんが、誰もが予想だにしなかった形で突然死んでしまったのですから。
かつて私がよく見ていたお笑い番組には上島さんがよく出ていて、お馴染みのギャグでたくさん笑いをとっていました。
間違いなく大好きな芸人さんの1人でした。
それがどうしてこんな事に…。
色々と複雑な思いが入り混じり、この日は一日中上島さんの死が頭から離れませんでした。
大学生の頃の私
私は浪人の頃と大学生の頃、精神的にかなり落ち込んでいました。
今考えると軽い鬱状態だったのかもしれません。
それでも浪人の頃は漫画という楽しみと、『超売れっ子漫画家になる』という夢に支えられていたのでまだ良かったのですが、大学4年間は最悪でした。
原因の一部を挙げてみると、
①地元を離れてホームシックになった。
方言も風習も全く変わってしまうほど離れた土地だったので、なかなか馴染めませんでした。
②2浪した事でなかなか友達ができず、かつそれを『年下の先輩』からあからさまにバカにされた事もあった。
新歓の席で自己紹介をした際に、「俺らは現役だから〜!」とわざわざ言われた事を皮切りに、それはもう色んな事がありました。
私の方も煩わしくなって心を閉ざしてしまい、独りで行動する事が多くなりました。
③「夢のキャンパスライフ!大学生になったら思いっきり漫画を描こう!」と思っていたものの、毎日講義がビッシリで、かつ必修科目ばかりだった。
1限目:英語(必修)→2限目:内科学(必修)→3・4限目:生理学(必修)→5限目:第2言語(選択)→6限目:理学療法学概論(必修)みたいなカリキュラムばっかりで、なかなか気を抜けないわけです。
しかもすぐに試験期間がやってくるので、ぼんやりしていると平気で単位を落としてしまいます。
2年生になるとさらにこれに実習が加わるので、とにかくキツかったです。
④大学の授業料と家賃のみ親が負担してくれたが、生活費と実習積立金は奨学金とバイト代でなんとかしなければならなかった。
奨学金は月3万円(有利子)しか借りれませんでした。
おまけに実習積立金は月1万円でしたので、残り2万円ではどうやりくりしても生きていけません。
なので試験期間以外はとにかくバイトをしていました。
ただ幸運な事にこの時代にしては時給が非常に良かったので、バイト漬けの毎日というわけでもありませんでした。
(実習積立金とは、クラスメイト全員から毎月徴収した1万円をプールし、実習の際にかかったウィークリーマンション代や交通費に使う為の積立金です)
以上をまとめると、大学生の頃の私は『知り合いも友達もいない見知らぬ土地で貧乏な生活を送りつつ、やりたい事を我慢して勉強せざるを得ないという現実にかなり強い憂いを感じ、精神的な不調をきたしていた』という事になります。
(大学生活の後半は少し良くなりますが、前半は本当にヤバかったです)
当然こんな生活が楽しいわけがなく、やがてなんに対しても意欲が湧かなくなり、最悪な事にあんなに好きで好きでたまらなかった漫画に対する情熱も冷めていきました。
そして世界は灰色、他人は私を傷つける有害物、何かを口にしても全て砂を噛むような感じといった具合に、まさに生きる屍を地でいくような日々を送っていました。