YO!SAY!!コロナは突然やって来た【コロナ感染体験記-③-】
※これまでのあらすじ
結局みんな陽性に
夫は何度も体温を測り、「いや、おかしい」「絶対陽性だ」と連呼していました。
「熱は?」と聞くと返ってくる数字は37度台前半ばかり。
(何だそりゃ。37度ちょっとなんて微熱じゃん、微熱!)
と思いましたが、夫はさっさと市の窓口に連絡し、その日の午後指定された病院まで2度目のPCR検査を受けに行きました。
そして翌日。
検査の結果『陽性』だったと連絡が入りました。
家族全滅…。
「無理もないよ。子供達はマスクもしないしさ、これでうつらないなんて無理な話だよ」
予想通りの結果に夫はそう言って納得していましたが、私は心中穏やかではありませんでした。
私は最悪の場合、食料が足りなくなったら夫に買いに行ってもらおうと目論んでいました。
同居家族が陽性であろうと、本人が陰性であれば不要不急の外出以外は許可されているからです。
(食料不足は緊急ですしね)
しかしそれもこれでダメになり、わが家には外界とコンタクトをとれる人間が完全に居なくなってしまいました。
果たしてこのガチの缶詰め生活で、わがままが服を着て歩いているような幼児2人と一緒に、あと1週間以上生活していけるだろうか。
あれこれ思い悩んでいると、「食料頼んどいたから。あとパルスオキシメーターもついでにお願いしといたよ」と夫が言いました。
実は私も夫も自宅療養の場合市から無償で食料支援が受けられる事と、必要であればパルスオキシメーターを借りられる事を知っていました。
私はそこまでする必要はないかなと思って一旦保留にしたのですが、夫は自分の陽性が分かった時点で話を取り付けていたのです。
「なんかオムツも届けてくれるらしいよ」
私は心の中で夫に拍手を送りました。
食料は手に入れたけど…
夫が食料支援とパルスオキシメーターの貸し出しを市に要請した翌日。
先にパルスオキシメーターが届きました。
「おっ、フクダ電子のだ!これめちゃくちゃいいやつだよ」
夫は興奮気味に話していましたが、仮にその“いい”パルスオキシメーターを自宅療養者に貸し出すとしてまとまった個数を購入したんだとしたら、果たしていくらの税金が使われたんだろうと、私はそっちの方に思考が向いてしまいました。
(まぁコロナ禍が終わってもパルスオキシメーターは用途がたくさんあるので全然いいんですが)
さらに翌日。
お昼ご飯を食べてダラダラ過ごしていると、夫のスマホに着信がありました。
それは食料の配達を知らせる電話でした。
インターホンが鳴り、配達員が去ったのをモニターで確認してから外に出ると、玄関の横に段ボール箱が二箱積まれていました。
「見て。食料が届いたよ!」
家の中に運び込み、早速中身を見てみると、たくさんのカップ麺やレトルトカレー、パックご飯や缶詰が入っていました。
家の中で自由に生きてね、でも餓死だけはしないでねと言わんばかりの、それはそれは大量の支援物資でした。
「ありがたいね。でもこれを全部消費するのはなかなか難しいね」と夫婦で話していたのですが、なんと翌日、もう二箱届きさらにビックリしました。
(あと3週間くらいは出てくんなってことかな)
食料の問題はこれで解決しましたが、実は地味に困っている事がありました。
それはお菓子の不足です。
まだ4歳と2歳の娘達は、それはそれはお菓子が大好きで、さらにわが家には食後にみんなでお菓子を食べるという習慣がありました。
なので娘達はご飯を食べ終わると、「アポロ食べたいなぁ」とか、「チョコクッキー食べたいなぁ」と言ってお菓子を欲しがりました。
しかしそんな都合良く娘達が食べたいお菓子があるわけではありませんし、当然ですが買いにも行けません。
ペコちゃんの棒付きキャンディーだけはたくさんあったのでなんとかそれでごまかしていましたが、娘達はチョコレートを食べたそうにしていて、外にも行けず、お菓子も我慢している娘達を見ていると不憫でたまりませんでした。
事態が好転!救世主現る!!
私も夫も実家から連絡が来ないうちは、あえてこちらから連絡する事はせずに、コロナに感染した事も言わないでおく事にしました。
そんな折、弟からLINEがきました。
なんでも実家暮らしの妹(弟から見たら姉)が体調を崩し、自室に閉じこもっているとの事。
コロナではないと言い張り、病院には行っていないとの事。
そんな妹と接触していないか確認のための連絡だったのですが、私は自身の経験から(怪しいなぁ)とすぐに思いました。
しかし妹は少し難しい性格で、家族の誰も彼女を説得するのは無理なので、遠くから見守る事にしました。
すると次の日。
今度は母親からLINEがありました。
どうやら仕事が休みなので、もし私が休みなら娘達に会いに来たいような感じでした。
私はここで初めて「実は家族全員コロナに感染して、今自宅療養している」と打ち明けました。
この衝撃かつ突然の告白に対して「えーーーーー!!!コロナになっちゃったのーーーー!!」とかなんとか言って、それはそれはビックリするかと思いきや、母親は意外にも冷静で、「大丈夫なの?何か買って来ようか?」と言いました。
母親は隣の市に住んでいますが、お互い家の近くに高速道路の出入り口があるので、20分もあれば行き来出来ます。
私はお菓子が欲しくてたまらなかったので、母親のこの申し出に甘える事にし、娘達のお菓子をお願いしました。
4時間後。
母親の作った豚汁とちらし寿司、惣菜の唐揚げとなぜかケーキ、そして大量のお菓子、肉、野菜が届きました。
当然顔を合わせる事のないように荷物を玄関の前に置いて帰ってもらったのですが、なぜか精米した米がコンバイン袋のまま置いてあったので、その様子はまるで昔話の笠地蔵みたいでした。
念願のチョコレートが手に入り、娘達はお菓子の入った段ボール箱を見て「宝箱だ!」と言っては喜んでいました。
さらに長女は唐揚げが大好物なので、久しぶりのご馳走を前にはしゃぎまくり、嬉しそうに食べていました。
私と長女は3/31まで、次女は4/2まで、夫は4/3までこの自宅療養生活が続きます。
ありがたい事に今のところ家族みんな元気ですし、食料も日用雑貨も娯楽(chrome castのおかげ)も当面生きていく分には不自由しません。
なのであと少しですが人生の春休みをもらったと思って、家族4人のんびり穏やかにこの自宅療養生活を満喫したいと思います。