病的な容姿コンプレックスを抱えていた私が、容姿コンプレックスを抱える人に言いたい事
先日、運転免許証の更新に行ってきました。
運転が苦手でほとんどハンドルを握る事がないためゴールド免許。
なので諸々の手続きはあっという間に終わりました。
しかし新しい免許証を貰ってあらビックリ!
写真のまぁ〜ブスなこと!!!
ブスは生まれつきなので仕方ないにしても、なんつーか変!!
アルカイックスマイルよろしく優し〜く微笑んだつもりが、え?キレてる??ってなってるのは何故!?
迎えに来てくれた夫に「写真が破滅的にブスだ」、「この写真を見たら『え?俺こんな人と結婚したの?』って引くと思う」、「お金かかってもいいから写真撮り直して、再発行してもらいたい」と言ってはすこ〜しばかり落ち込んでしまいました。
容姿コンプレックス
突然ですが、皆さんはコンプレックスをお持ちでしょうか?
私はというとコンプレックスが服を着て歩いているような人間なので
冒頭のエピソードでピンとくる方も多いと思いますが、なかでも私の容姿に対するコンプレックスは、もはや病気と言っていい
『重症でした』なので昔と比べて今はだいぶマシになりましたが、以前は鏡に映る自分を見ては、(な
他人の見た目に対してどうという事はないのですが、殊自分の見た目に対しては容赦無くこき下ろしていました。
しかし私がここまで自分の容姿を忌み嫌うようになったのには、過去のある出来事に端を発していました。
10歳の私、自分のブスたるを知る
小学5年生の時のこと。
私にはYちゃん、Kちゃん、Sちゃんという、特に仲のいい友達が3
この内のKちゃんがある時我々3人に向かってこう言いました。
「ねぇ知ってる?一重の人ってブスなんだって!!」
(一重?なんの事だ??)
これだけ聞いても何の事だかさっぱりわかりませんでしたが、Kち
(なんて恐ろしいんだ一重瞼は!)
そう思うだけでその場は終わったの
x=2、y=2、∴x=y
この法則でいくと、
一重瞼=ブス、私=一重瞼、∴私=ブス
が成り立ちます。
当時の私はまあまあアホな子供でしたが、これくらいの事はすぐにピ
おまけに思春期に片足突っ込んでいた時期だったので、衝撃だった
(私はブスだ。ブスなんだぁぁぁ!!)
それまで可愛いとかブスとかあまり考えた事もなかったのに、急に自分の容姿が気に
しかもあろう事か年頃になり自分の容姿を悩み始めた娘を面白く思ったのか、
さらにそんな両親に便乗するように、妹や弟も「姉ちゃんてさ、稲中
(ちなみに稲中の前野というのはこちらです👇)
なんて酷い家族なんだと思いつつも、改めて世間で可愛い・美人と言われている人達と自分を比べてみる
そういう美の女神に愛された選ばれし方々というのは、みなパッチ
対する私は鋭い一重に母親譲りのボテッとしただんご鼻、おまけに
…絶望しました。
(残念だけど、私がブスなのはわかった。可愛いとか美人だという賞賛はもう諦めたから、どうにかしてブスをごまかして生きていく事が
打ちひしがれた私は必死に活路を見い出そうとしまし
一重瞼はブスだという友達の何気ない言葉から家族によるいじり、そし
それからというもの自分の容姿に対して並々ならぬコンプレックス
とはいえ一応既婚者です
なぜ私が自分はブスだという事実に絶望までしたのか。
それは(いつかは結婚したいと思っていたけど、ブスな自分はこの先異性との縁もなく、幸せな結婚はできないだろう)と思ったからです。
しかしそんな私ですが、一応結婚はできました。
ここで「夫ですか?顔はディーン・フジオカさんに似ていて身長は186センチあります。職業は外科医なんですよ」とでも言えば、たちまちこのブログのアクセス数は爆上がりし、もしかしたら私は「コンプレックスを乗り越え、イケメン外科医と理想の結婚を果たした女性」な〜んて世間の注目を集められるかもしれません。
(そういうのを『理想』というのはどうかと思いますが、でも多いですよね。こういう煽るようなキャッチフレーズ)
しかし実際は、夫はひと回り年上のアラフィフで、体型は中肉中背、いわゆるイケメンでもな
なので私と夫は世間からなんら羨ましがられることのない夫婦なのですが、お互いの事をとても大事に思っていますし、幸運な事にとても充実した楽しい結婚生活を送っています。
結局一番大事な人生の目的は幸せになる事じゃないかと本気で思う
私自身容姿コンプレックスがMAXだった時、美に対する羨望と嫉妬を募らせる一方で、容姿で
(特に女性はそうですよね)
テレビや雑誌に出ているの
特に日本はそれが顕著で、外国の映画やドラマでは個性派の女優さんが主役を務める作品もたくさんありますが、日本の映画やドラマで主役を務める女優さんとなると、皆もれなく美人です。
こう言うと「それは違う!本当に大事なのは中身だ!!」と言う人が必ず出てますが、確かにそれはそうなのですが、どちらかと言うとこれはただの理想論でしかありません。
とはいえ。
病的なまでに酷い容姿コンプレックスを抱いていた私でしたが、年を重ね、『人生を自分主体で楽しむ事』を信念として掲げてからは、だんだんと考え方が変わってきました。
容姿は確かに人生のあらゆる場面で有利にはたらく、いわば何もしなくても賞賛や評価を得られる『リソース』だと言えます。
でもそれはあくまで両親のおかげであって、その人自身の後天的な努力の成果ではないですよね?
それにどういう顔が美人だとかイケメンだとか、それって多分メディアとか出版社とか、何かしらの権力とお金を持っている人達が勝手に作り出した基準であって、私やあなたが決めた訳ではないはず。
(現に美の概念は時代や国で全然違いますし、私の可愛いがあなたの可愛いと同じとは限らないはずです)
私は私以外の人間が決めた事に振り回されるのはアホらしくてご免ですし、そんな無駄な事に貴重な時間を割きたくありません。
そう考えると、どうでもよくないですか?
それに冷静に考えてみたら、容姿がいいからといって絶対に幸せになれるとは限らないし、そうでないからといって必ず不幸になるというわけでもありません。
おまけに生きていたら容姿の悩みなんて消し飛ぶほどのどデカい壁にぶち当たる事なんてたくさんあるわけで。
あからさまな差別やイジメを受けているという深刻なケースは例外ですが、その場合間違っているのは明らかに相手の方なので、そんな低レベルな存在に心をかき乱される必要は全くありません。
最後に
容姿は簡単には変えられません。
一生付き合っていくものなので悩みも尽きないと思います。
しかしそれらを理解した上でも、容姿について悩む事がいかに不毛な行為なのかお分かりいただけたと思います。
それにあなたの容姿に対してネガティブな感情を持っている異性と、あなたは恋愛をしたいですか?
背伸びして少しでもよく見られたいと努力しますか?
個人的には私はブスも含めて私なので、ありのままの私を受け入れてくれた夫に出会えて本当にラッキーだと思っています。
なので結婚に後悔はありませんが、こういう考え方がもっと若いうちにできていれば、恋愛も含めてもっと若い時間を謳歌できていたかもなぁとは思います。
そしてそう思うとめちゃくちゃ勿体ない事をしたなぁとも思います。
(まぁ若いうちにここまで達観するのは難しい話で、年齢を重ねてきたからこそコンプレックスを緩和できたのでしょうが)
最後になりますが、ぜひこの記事を読んでみてください。
非常に論理的で納得できる内容ですし、これを見たら音速で中身を磨こうと思うはずですよ。
それでは今日はこのへんで失礼します。